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汝等一同の者よ、この上もなき幸せ、
つまり極楽とはいかなる境地を申すぞや。
人それぞれの因縁によりて、現世に暮らす日々は、
さながら修羅のごとく、地獄のごとき有り様なるぞや。
何故なれば、叶わざる望みに身を焦がし、
欲を追い求めて追いつき得ず、為さんとするを為し得ず、
ただ思うに任せぬ現世ならずや。何故なるべし。
人間本来無一物にして、裸で生まれ、裸に帰するを忘るるが故なり。
現世の五欲に、一切を振り捨てて、なお溺れゆく身のはかなさは、
容易に悟り得らるるものにはあらず。
一心に般若心経を読誦なさんは、その中に没頭いたし得て、
己が身の我欲一切を忘るることなり。
つまり無けい礙の心境を勝ち取り得ることこそ、
この上もなき幸せと申すものなり。
汝等よ、瞑想のひとときに何を求めんといたすや。
己が身にまつわる諸々の因縁、己が人生に立ち塞がりて、
ただただ求めて求め得られざる我欲、餓鬼、
悪道に呻吟なす己れを知らざるが故、
求めて求めてなお満足なし得ぬ己が心を省みるべし。
何一物をも我が物と申すもの無きを悟り得れば、何をや求めん。
求むる必要もなく、求めんとなす心も起こらず、
ただありのままなる自然にまかせ、
御仏の御心に委ね切り得る現世にあれば、肉体の中に宿りてなお、
極楽の境地を勝ち得るものなり。
つまり肉体とは、五欲煩悩の入れ物にして、
その中に潜む己が真我を忘るるが故に、五欲煩悩に溺れ、
求め求めて餓鬼のごとく、修羅をさ迷う現世の有り様さながらに、
自ら作りて自ら乗りゆく火の車とはまさにこれなり。
汝等よ、この瞑想に身も心も、 一切を委ねゆく心とならば、
何物をも求めず、何物にもとらわれざる、
ただありのままなる真我を見つめて、
我れ神と共なりと悟り得るとき、現世はまさに至上の極楽なるぞや。
身も心も安住なし得る極楽の境地悟りて、
生死を超越いたし得る身の幸せを悟り得るとき、
仏道は遥かに見ゆれど、我が内にこそあり。
汝等よ、足るを知る心となりて、
なお追い求むるを退けゆくべき修行にこそ、
心身ともに安楽を得るものなりと深く悟りて、
正法の縁むすびし身の幸せを、必ず現世に生かしゆくべし。
合掌 |


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