今月の法話
七夕  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 (2024年7月1日掲載)
現世の極楽

汝等一同の者よ、この上もなき幸せ、
つまり極楽とはいかなる境地を申すぞや。
人それぞれの因縁によりて、現世に暮らす日々は、
さながら修羅のごとく、地獄のごとき有り様なるぞや。
何故なれば、叶わざる望みに身を焦がし、
欲を追い求めて追いつき得ず、為さんとするを為し得ず、
ただ思うに任せぬ現世ならずや。何故なるべし。

人間本来無一物にして、裸で生まれ、裸に帰するを忘るるが故なり。
現世の五欲に、一切を振り捨てて、なお溺れゆく身のはかなさは、
容易に悟り得らるるものにはあらず。
一心に般若心経を読誦なさんは、その中に没頭いたし得て、
己が身の我欲一切を忘るることなり。
つまり無けい礙の心境を勝ち取り得ることこそ、
この上もなき幸せと申すものなり。

汝等よ、瞑想のひとときに何を求めんといたすや。
己が身にまつわる諸々の因縁、己が人生に立ち塞がりて、
ただただ求めて求め得られざる我欲、餓鬼、
悪道に呻吟なす己れを知らざるが故、
求めて求めてなお満足なし得ぬ己が心を省みるべし。
何一物をも我が物と申すもの無きを悟り得れば、何をや求めん。
求むる必要もなく、求めんとなす心も起こらず、
ただありのままなる自然にまかせ、
御仏の御心に委ね切り得る現世にあれば、肉体の中に宿りてなお、
極楽の境地を勝ち得るものなり。

つまり肉体とは、五欲煩悩の入れ物にして、
その中に潜む己が真我を忘るるが故に、五欲煩悩に溺れ、
求め求めて餓鬼のごとく、修羅をさ迷う現世の有り様さながらに、
自ら作りて自ら乗りゆく火の車とはまさにこれなり。

汝等よ、この瞑想に身も心も、 一切を委ねゆく心とならば、
何物をも求めず、何物にもとらわれざる、
ただありのままなる真我を見つめて、
我れ神と共なりと悟り得るとき、現世はまさに至上の極楽なるぞや。
身も心も安住なし得る極楽の境地悟りて、
生死を超越いたし得る身の幸せを悟り得るとき、
仏道は遥かに見ゆれど、我が内にこそあり。
汝等よ、足るを知る心となりて、
なお追い求むるを退けゆくべき修行にこそ、
心身ともに安楽を得るものなりと深く悟りて、
正法の縁むすびし身の幸せを、必ず現世に生かしゆくべし。

合掌


法話集

TOP