今月の法話
レモン  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 (2024年6月1日掲載)
第一の修行

汝等一同の者よ、静かなる瞑想において、己が魂を鎮むるとき、
荒れ狂う邪心、悪念、みな自らに鎮まるるを覚ゆるであろうがや。
心とはすなわち念、念とはすなわちその魂の在り方にして、
これをただ目にも見えず、耳にも聞こえず、
身にも感ぜざるものと思うは誤りなり。
天地自然ありのままなる姿こそ、己が心と同じくして、
この天地自然を手本と致して己が心の在り方を悟りゆくとき、
荒れ狂う憤怒の心、憎しみの心、
押さえ切れざる己が自制の無さとは、
つまり自然の起こせし暴風雨のごときものなり。

何故なれば、己が心に巣くう邪心、悪念、なにかの機会に、
鎮まれる己が魂を掻き乱し、憤怒、憎しみの情を起こさしめて、
その荒れ狂う念は、家庭においても、社会においても、
また国家においても、すべてこれ暴風雨を起こすなり。

されば人間つねに己が心の禅定なるを願い、努め、精進致して、
邪念悪念に冒されざる己れを作りゆくことこそ修行なり。
病魔に冒さるるも、また己が心の自然に反せしその因縁をもって、
隙間を狙いて襲いかかりし悪魔なるを悟り得ざれば、
ただ人の力をもって、この悪魔追い出さんと致しても、
容易に追い出し得るものにはあらず。
一切の我が身を覆う不幸とは、すべてこれ、己が心の在り方、
すなわち己が念より発するところの波動、嵐を呼び、
大嵐となり、ついに我が身を滅ぼさんこと、
これ日々の新聞紙上にても明らかなるごとくなり。

されば信仰とは、己が心を常に禅定に保ちゆく修行をもって、
何事にも冒されざる不動の信念養いゆくことをもって、
第一の修行となすものにあり。
さればこそ瞑想とは、己が心を鎮めしずめて、いかなる悪魔、
悪因縁にも間魔いたされざる己れを作りゆく修行なり。
病を恐れ、不幸を恐れ、何事にも不安と恐怖の日々にあれば、
それは皆、己れ自身を脅かする、
己れ自身の握りて離さざる悪魔の姿なりと悟るべきなり。
一切の悪因縁に間魔いたされざる己れを作りゆかんことこそ、
人生最大の幸せと悟るべきなり。
金銀財宝いかにあらんとも、この魂は養い得ず、
また大家高楼に住まい致さんも、常に不安と恐怖と、
憤怒の念に満たされなば、その大家高楼こそ、
己れを脅かす悪魔充満いたせし魔窟となりゆくものなり。

身を置くに座して半畳、臥して一畳、
ただこれあれば十分なる六尺の体、
なんの不自由あるべきこと無きを、心に悟り得れば、
大家高楼も、金銀財宝も、ただ己が身を不安と恐怖に陥るる、
むしろ災いの元なりと知る時、ただ何物にも冒されず、
脅かされざる、平和と安穏の己が生活において、
家庭にこもる平安の気は、家族一同を和ませ、幸せに致し、
それぞれの身体、自然のままなる健康を保ちゆくなり。

汝等よくよく深く考えて、己れ自身を不幸に落としゆくは、
また己が心の在り方一つなりと深く悟りて、
常に平和と安穏を願いて、心、禅定に努めゆくことこそ、
天寿まっとうし得て、家族一同、町内一同、
国家一同みな平穏に安穏を保ちゆく、唯一の道なるぞや。

合掌


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