|
師を重んずる事は、法を重んずる事なり。
師を尊ぶが故に法の尊さも分り、我身行ずる法とは即ち、
師に仕うる事なり。師は即ち法なればなり。
師あればこそ法も分り、分りたる法を我がものと身得なさん事、
師自らの姿勢を以て生かさるるが故に、
我が身又これを手本といたして見習いてこそ、
その身に付くものにありて、
師を尊び仰ぎて仕えゆく心の真にこそ法は生かされ、
己れの身に付き、
己れ法の中に安住なし得る境地開かれゆくものにあり。
されば、師は己が生命の導き者にありて、生きて甲斐ある生命の、
尊く生かさるる法の道しるべなりと、
しかと悟り得るところに信仰の真髄あり。
さればこそ師尊からずして、弟子尊からず。
師正しからざれば、弟子道をあやまるものなり。
師たるもの、弟子に対しての第一の義とは、
己れ常に道あやまらずして、後に続く弟子必ず道あやまる事なき様、
しかと見定めて導きゆく事こそ、仏に対しての報恩にあり。
師尊きが故に、法も亦尊し。
法尊きが故に、遵奉の弟子尊し。
されば、師弟の義とは、常に法を重んじ、
互いにその人格を重んずることの出来得る様、
己が心の姿勢あやまたざることなり。
師を遵奉いたすが故に、法は生かされ、法を生かしゆくが故に、
我が命、いとも尊く生かさるるものなりと悟るべし。
合掌 |


|
|