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祈りとは人の為にありてこそ真実なり、
これ己れを上昇致すものなればなり。
人は生れては死し、死しては又生れ来る輪廻の中に、
只ひたすらに人の為に祈り、
人の為に尽す現世のみ、
この輪廻より解脱なし得る道なりと悟り得たる時、
初めて天界を見得るものなり。
六道に輪廻なす事いく度ぞ、
浅ましの己れ只自我にのみ没頭いたして、
己れ己れと追い求むる我欲の鬼なるを、ふと返り見て、
おぞましき人生さながらにこの世の地獄を自ら作りて、
自らおぼれる姿にこそあ然と立ちすくむ時、
懺悔悔恨の涙ぼうだたるを知りて初めて、
ようよう逃れ出でんと決定いたし得る六道なり。
ここに菩薩の道開けゆくものにありて、
自他一体なる真理に目覚め得る時、
人の幸せを願いて初めて己れ幸せとなるべきを悟り得るものにあり。
さればこの苦界より逃れ出づべき道は、只衆生と共に在りて、
衆生の中に生くる己れたるを悟り得るとき、
先ず一切衆生と共にこそ、逃れ出で救われゆかんと祈り求めて、
仏道はるかなれども真実に開けゆくものにあり。
されば只ひたすらに手引きなし力を致して、
この苦海たる所以を悟り逃れ出づべきは、
解脱のみなりと必死に諭し、
明らかなる道を示しやらんとの菩提心こそ、
当に己れを解脱なし上昇なしゆく道にありて、
これ菩薩道なり、声聞縁覚弟子にあらずと仏のたまいしは、
この理なり。
己れ一人悟り救われんとのみ願うは、
仏心に非らざれば、菩薩とは成れざるものなり。
只ひたすらに衆生と共にこそ救われゆかんを祈り求めて、
人の為、人の為にとその魂の進路明らかに示しやる事こそ、
仏心につながる道なり、これぞ又真の慈悲なり。
仏を渇仰し仏の御許に近づかんと、
必死に乞い願う心こそ成仏道にして、
この成仏道こそ、只一心一切衆生への慈悲心を示し現わす菩薩道、
必死に行じゆく事のみなり。
合掌 |


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