今月の法話
白鳥  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 (2024年2月1日掲載)
真実の美しさ

美とは真実なり。
如何に見目麗しき女人なりとも、 心夜叉にては嫌悪の相なり。
真の麗しさとは、心の真実おもてに現れ出づる事自然にありて、
何人をしても、その温かさ優しさ、
叡智の輝きに心潤さるるものこそ至上の美なり。
即ち真実を吐露し尽す処にこそ至上の美あり。
人はこの真実至上の美に逢いてこそ清められ高められ、
潤さるるものにあり。
美麗の壺にあくたを入れ、又、粗末なる壺に宝玉を入れ、
蓋をしたる二個の壺のいずれを取るや?
人、中身を知らず、思わざるが故に、
見た目麗しきあくたの壺を競いて求むなり。
されど己が心清くして、
己れ人の取り残したるを頂きて受くる者あらば、
これぞ至上の宝を身に受けたるものなり。

中身の見えざるめくらに等しきが故に、衆生人の心を知らず。
故に己が欲心に溺れて、遂にあくたを喜び、競いて奪い取り、
己れを泥に汚しゆくなり。
神仏とは、ある時は悪鬼夜叉ともなりて、人の心を正さしめんと、
敢えて遊ばさるることもあり。
中身と外見、しかと見定め得る心の修行にこそ、善悪見定めて、
間違いなき正道歩み行かるるものなり。
人は肉体に非ず。肉体とは、遂に老いさらばえて、
白骨と化すものにあり。
白骨と化しては、美人もしこめも、
何らの相違あるべきものには非ず。
されば、人は霊なり。
霊魂の美醜こそ、人の真実にありて、己れ真実に目覚め得たる時、
如何に麗しく装わんとも、
その中身たる霊魂の悪見抜けざる筈は無し。
悪魔の言葉は耳に優しく、神仏の御言葉は耳に痛く、
悪魔は甘言を以て人を地獄へ誘い、
神仏は諫言を以て人を天上に誘い給うものなり。
真の幸福とは、ただ己が心魂磨き磨きて、心眼見開く事にあり。
そこにこそ、真実の道はあるものなり。

合掌


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