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美とは真実なり。
如何に見目麗しき女人なりとも、 心夜叉にては嫌悪の相なり。
真の麗しさとは、心の真実おもてに現れ出づる事自然にありて、
何人をしても、その温かさ優しさ、
叡智の輝きに心潤さるるものこそ至上の美なり。
即ち真実を吐露し尽す処にこそ至上の美あり。
人はこの真実至上の美に逢いてこそ清められ高められ、
潤さるるものにあり。
美麗の壺にあくたを入れ、又、粗末なる壺に宝玉を入れ、
蓋をしたる二個の壺のいずれを取るや?
人、中身を知らず、思わざるが故に、
見た目麗しきあくたの壺を競いて求むなり。
されど己が心清くして、
己れ人の取り残したるを頂きて受くる者あらば、
これぞ至上の宝を身に受けたるものなり。
中身の見えざるめくらに等しきが故に、衆生人の心を知らず。
故に己が欲心に溺れて、遂にあくたを喜び、競いて奪い取り、
己れを泥に汚しゆくなり。
神仏とは、ある時は悪鬼夜叉ともなりて、人の心を正さしめんと、
敢えて遊ばさるることもあり。
中身と外見、しかと見定め得る心の修行にこそ、善悪見定めて、
間違いなき正道歩み行かるるものなり。
人は肉体に非ず。肉体とは、遂に老いさらばえて、
白骨と化すものにあり。
白骨と化しては、美人もしこめも、
何らの相違あるべきものには非ず。
されば、人は霊なり。
霊魂の美醜こそ、人の真実にありて、己れ真実に目覚め得たる時、
如何に麗しく装わんとも、
その中身たる霊魂の悪見抜けざる筈は無し。
悪魔の言葉は耳に優しく、神仏の御言葉は耳に痛く、
悪魔は甘言を以て人を地獄へ誘い、
神仏は諫言を以て人を天上に誘い給うものなり。
真の幸福とは、ただ己が心魂磨き磨きて、心眼見開く事にあり。
そこにこそ、真実の道はあるものなり。
合掌 |


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