|
朝、お供養の修法中、観音様にお叱りを受けた。
「汝は昨日、第四回目の護摩法満願の一回目を終わり、
これにて千日行の四百回を為終えたり」と、安堵致したるなり。
何たる怠慢ぞや。
千日の行とは、 一日も休む事なく、千日の間を一心に修行する事なり。
百日終えてしばらく休み又、百日に入りたりとも、
それは二百日には成らざるなり。
されば汝、百日を四回行じたりとも、中に一日たりとも休みなば、
最早四百日とは申されぬなり。
ましてや、この裟婆を救い、人間救済の大祈願に於て、
中休みとは何事なるぞや。
身命なげうちてこそ、裏からの助けもあり、無量の神力と現わさるるなり。
一時の緩みも許されざる大事業なり。
生涯をとして祈願なすべき大願に、一日の緩みも許されざる事、
肝に銘じて心得おくべし。
されば、真剣に祈願致して、今世に生きたる甲斐あらしめんと願わば、
日を選びて一日の休みもなく、千日を為終えてこその甲斐なるぞや。
命短し、惜しみなく捧げ尽くして、
世の為人の為に己れを捨つる覚悟ありてこそ、
神も仏も受け取り、助け給わるものなり。
一度は深く決定致して、唯我一人にても成し遂げんと、
固き信念ありてこそ、祈願は成就致すものなり。
合掌 |
|
|