今月の法話
風鈴  今回は昭和60年9月の法会での
 乾光照大阿闍梨のご法話を掲載いたします
 

 (2023年7月1日掲載)
人生の価値

私(光照)の母は八十八才の長寿を全うして、
誰も気付かぬ程に安楽に往生しましたので、
これは極楽に逝かせて頂いたものと安心致しておりました。

四十九日の夜、妹が突然亡くなりましたので、私はびっくり致しました。
私の母は、私の十才の時に妹を連れて父と離別致しまして、
妹を一人で大きくし、成人して妹は医者になり、
二人で安楽に気まま放題に暮らしておりました。
妹は大変親孝行で、母の欲しがる事は、
何でも適えてあげ大切にしていましたので、
母はいつも百三十才までは生きねばと申し、
又妹にも「貴女一人を残しては逝けない。」と、
口ぐせに申しておりました。

その母が八十八才で亡くなりましたのは、
私どもには長寿を全うし、
安楽往生が出来て幸せなんだったと思っておりましたのに、
四十九日の夜突然に妹を連れて逝ったと云う事は、
私には青天のへきれきのように思われまして、
生前の「貴女一人を残しては逝けない。」と、
申しておりました言葉がグサッと胸に突きささる様に思われました。

二人の遺骨を並べて安置し、毎日供養しておりましたところ、
夕方薄暗くなりますと、私の耳元で妹がささやくのです。
「お姉さん・・・お母さんにまだ会えないのよ・・」と、
繰り返し、繰り返し、ささやく声が聞えてきます。
私は母が我が子である妹を死の国まで連れて逝った事が恨めしく、
腹立たしくてなりませんでしたので、「会えない筈はないでしょう、
家の棟を離れると云う四十九日の日に、貴女を連れて逝ったではありませんか」
と、怒った様に申しますと、妹は如何にも悲しそうな声で
「お姉さん・・お母さんにまだ会えないのよ・・」
と、ささやき続けます。

やがて母の百ケ日と、妹の四十九日の法要を、
私の密教の師のお寺で行なって頂く事になりまして、
その朝二人の写真を遺骨と共に持って参上致しましたところ、
内弟子の一人の老尼が妹の写真を見るなり、
「この方が貴女のお妹さんでしたか・・・・この方でしたら、
昨夜からもう此処にいらしていますよ」とおっしゃいますので、
不審に思いまして私が、「どうして?・・・」とお聞きしますと
「実は昨晩、本堂で私が夜のお勤めを致しておりましたところ、
白い着物を着た女の方が、お蜜柑を二つ持って来て私の前に座られて、
そのお蜜柑を差し出されて、丁寧にお辞儀しますので、
『どなたかしら?』とお顔を見ましたが、
私の知らない方なので不思議に思っていましたが・・・ 
今、此のお写真を見てハッと致しました・・・・ 
この方、お妹さんでしたの・・・」とおっしゃるのです。
実は家でお祭りしてあった時、遺骨の前にお蜜柑を二つ高杯に乗せ、
お供えしてあったのです。

妹はそれを持って来て、この老尼に差し上げたわけです。
今日の法要を知り、昨夜から先に来て待っていたわけでした。
それから法要が始まりまして、老師が理趣経を読経されましたが、
続いて再び理趣経の訓読の方を読経されましたので、
私は二度も理趣経を上げて下さるのは何故であろうかと、
一寸いぶかしく思いましたところ、終わりの頃に、
母と妹が抱き合って喜ぶ様な気配を感じまして、
思わず泣けてしまいました。

法要が終わった後で老師はこう仰せられました。
「わしが理趣経を上げていると、貴女の妹さんが出てきて、
そんな難しいお経を上げて頂いても私には分かりませんと云うので、
わしは又和文の理趣経を上げたのじゃ。
そしたら、お母さんと妹さんと二人出て来て、
今初めて二人が会う事が出来、一瞬パッと抱き合って喜んでいたよ」と
仰せられます。

お言葉を聞かせて頂きまして、しみじみと二人の喜びが、
私の体の中を駆け抜けて行く様に感じられ、
感慨無量の気持ちでした。

それからしばらくたった或る夜の事でした。
夕食後、私が一人でテレビを見ていますと、
隣との境のドアがすっと音もなく開くのです。

「どうしたのかしら?・・・」
と不審に思いながらも、気にも留めませず立ってドアを閉めに行き、
又元の座に帰ってテレビの続きを見てますと、
暫くして又してもドアがすっと開くのです。
今度は何だか薄気味悪く思われまして、
又しても座を立って行き閉めようとしますと、
ギギイと異様な音がします。

「どうしたのかしら?・・・」と、思いながらもドアを閉め、
三度テレビの続きを見て終わりましたので、
お風呂に入ろうと思いドアを開けますと、
又してもギギイときしむ様な音がします。

今まで一度もこんな音などした事もないドアですのに、
「何故かしら?」
と思いながら廊下に出て風呂場のドアを開けようとしますと、
又してもギギイときしむ様な音がするのです。
「どうしてかしら?・・・」と、
ドアの上部を見上げても何の異常もありませんので、
服を脱ぎ裸になった途端に、又してもギギイと異様な音がします。

今度はドキッとしまして急に恐ろしくなり、
裸の上にバスタオルを巻いて、大急ぎで二階に駆け上がりました。
二階でレコードを聴いておりました主人のところへ飛び込みました。

主人は「何と云う格好や・・・」
と半ばしかり口調で呆れて私を見ますので、
「今、何べんもドアが嫌な音を出すのですもの…気味が悪くて、
恐ろしくなりましたので飛んで来ました」と申しますと、
主人は「バカやな!子供みたいな事を言って・・・
それは雨でドアが膨らんできしんでいるからや・・」と申しますので、
私も「ああそうか・・・」と安心して階下に降りお風呂に入りました。

湯舟の中でじっと浸っていますと今度は「ウウン・・」と、
はらわたを絞り出されるようなうめき声が聞こえるのです。

その声は確かに亡き母の声なのです。
「あっ・・・」と思わず叫びました。
「母だったのだ、これは地獄の底のうめき声なのだ」と、
はっきり分かりました。ここ当分は、雨など降ってはいませんでした。

実は私は肩凝りなどしたことが無く、
肩凝りとはどんなものか知らない程でしたのに、
母が亡くなって暫くしてから、四六時中肩が凝って凝って、
何にもしてませんのに寝ても起きても辛抱出来ない有様で、
毎日のように指圧の人に来て頂いて治療していたのですが、
している間だけは楽ですが、
指圧が済むと直ぐに又くい入るように、
肩が痛い程に押し付けられるのです。
「どうしてかしら?・・・どうしてかしら?・・」と、
ずっと思っていました事が、今はっきりと分かりました。

これこそ霊障だったのです。
地獄の苦しみに耐えかねて、
亡母が一生懸命私に救いを求めてきていたのです。・・・何と、
うかつな事でした。
指圧で治る筈もないこの霊障に、
亡母の苦しみも分からない愚かな娘だった訳です。

翌日、早速に師の御坊をお尋ね致しまして御話申し上げ、
お医者様でもあられます老師の診断を仰ぎました処、
確かにこれは霊障だとの事で、御加持をして頂き、
スッとしてお寺を辞しましたが、
帰途半時間もせぬ内に、
又してもキリでもむ様な肩の痛みに押し付けられ、
それから毎日毎日苦しくて、苦しくてたまりませんので、
又しても老師におすがり申し上げましたところ
「調べてみよう・・・」と仰せ下さいまして、
亡母の霊界での様子を調べて下さいましたところ、
「貴女のお母さんは地獄の中でも一番底で苦しんでる。
これでは、貴女が自分で治せん筈や・・」と、仰せられまして、
それから毎日御護摩を焚いて御供養して下さり、
私も家で毎日一生懸命供養致しまして、
半年位してようよう治りました。

霊障とはどんなに苦しく、
辛いものかと云う事をいやと云う程に知らされましたが、
例え親であっても、愛しい我が子を苦しめようとはつゆ思いませんが、
自分の苦しさには、
一番頼りやすい我が子に助けを求めて来るのであります。

八十八才の長寿では、
普通ならお祝いしてお送りするくらいのものですが、
この亡母は百三十才まで生きるのだと思い詰めて、
生きる楽しみに執着し、娘に愛着し続け、
死の覚悟などは出来なかった人でした。

例え一年の寿命でも、百年の寿命でも、
肉体を持って生きる価値と申す事には変わり無いのです。
それは、その人生の意義がどんなに深く有意義であるかによって、
価値づけられるものであります。

私は脳性麻痺の孫を看護する事三年余りでしたが、
この孫あったればこそ、
又嫁が病身で私が代わってこの孫を看護させて頂いた御陰で、
真の愛おしさも知り、不憫さも知り、医学で治せない病なら、
御神仏と取り組んでも治してみせようと決心した時から、
私は真剣に信仰に打ち込む事が出来たものです。
深夜一人で一心に縋る観世音菩薩様は、
私の永遠の守護神であらせられたのでした。
不治の病の孫を与えられたお陰で、
今までしていた信仰の過ちを悟る事が出来ました。
嫁の病弱が、私の孫への愛を強めて下さいました。
そのお陰で、私は観世音菩薩様の大慈大悲を悟り得ました。
一心に祈り続けた三年間は、
私に未来永劫の幸せを運んで下さいました。
この孫治したさに、密教にも繋がる事を得ました。

私が真剣に修行しようと決心しました時、
孫は私の手を離れて観音様がお引き取り下さいました。

私はこの世の役目を終え、観音様に「よくやってきたね。」と、
褒められて抱き取られた孫を夢見て、慈母観音像を刻みました。

その慈母観音様は、今私だけではなく、
沢山の方々の慈母となって尊い御姿を光と現し給いて、
共にお救い下さるようになろうとは、夢にも思いませんでした。
わずか三才の命でも、
我が身を犠牲にしてこのような大きな役目を果たし、
大勢の方々の救いになる人生もあるのです。

八十八才まで生き延びたとて、自分の思うままの我を通し、
欲しいままの生活をして、
人の為にも世の為にも何の役にも立たない人生に、
何の価値があるのでしょうか。

人生の価値とは、その生き様にあるのでありまして、
地位や名誉や財産等はこの世だけのもので、
真の価値ではないと申す事をよくよくお悟り下さいまして、
この世に生きた価値とは、人の為、世の為の光となって、
何時までも灯ってゆく事こそと心に刻んで、
ただ今からご自分の生き様をよくよく検討して、
悔い無き人生を終わらせて頂こうではありませんか。

今では、母は命日には必ず私の供養の場に出て参りまして
「久子さん、貴女のお陰です。本当に有難う。」と、
安楽に成仏の道をたどる事の出来得ました事を、喜んで下さいます。
私は尼僧となった喜びを、つくづく感謝する毎日でございます。

合掌


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