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相手がどんなに嫌な事をしようとも、
それを自分の判断で悪と決めてはならない。
相手がどんな嫌な事を言おうとも、
それを自分の感情で悪と定めてはならない。
例えどの様な事があろうとも、
善悪の判断は神の定め給うものにして、
己れの悪を知らずして、相手の悪を憎む事は出来ない。
その分別が出来なければ、自分は神の座に還る事は出来ない。
大自然の法則に照らして、
善悪を定め給う神の全智全能にゆだぬべきであって、
すべての事を、悪極まれる自己の判断で分別するは、
なお一層の悪を重ねゆく事と反省できねば、神の座には還れない。
全ての事に善悪を定め給うは、神の全智によるものにして、
無能なる人間如きに、浅はかに判断なすべきには非ず。
現世にある己れを見つめて、過去の罪業の現れなりと反省なす時、
何事にもあれ、とがむべきは、ただ己れのみなり。
忍辱は、神に与えられたる己が罪業の懴悔なり。
只々己れを恥じて、眼前に現れしは己が罪業なりと悟るべきなり。
一切の現象を、ただ己が罪業の現れなりと悟りて、
甘んじて受くる時、深き罪障もようように消滅いたしゆくものなり。
如何なる嫌悪の情も、皆己がなしたる罪の報いなり。
ただ甘受して、心にとがむる事なくんば、
悪は自ずから消え去るものなり。
懴悔とは、己れを苦しめ、苦しむ己れにじっと耐え忍び、
やがて、苦を苦とも感じなくなれば、
それは己が懴悔の許されし証なり。
現世はただひたすらにひたすらに、忍辱の行あるのみなり。
命尽くる時、己が罪業も尽くるものなり。
安らかに召されて微笑みを残して、寂光の中に消ゆべし。
合掌 |


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