今月の法話
彼岸花  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 

 (2023年10月1日掲載)
師弟の義

仏を信じるが故に師を尊ぶのである。修行の真価とはここにあり。
形ばかりにこだわりて、師を師とも思わざる言動においては、
何の修行の価値もなし。
親、親たらずとも子、子たるべしの如く、例え、師、師たらずとも弟子、
弟子たらざれば、弟子にはあらず。
師弟の義とは永遠なり。

親子の義を越ゆるものにして、親とは身体を生み、育み下さるる、
人間第一の恩人なり。
されど師とは、人、本来の真我たる霊魂の目覚めを得させ、
育み下さるる親以上の大恩人なり。
この悟り、得られずんば、弟子たるの価値なし。
その修行は形ばかりにて、絵に書きたる餅に過ぎず。
肉体ありて、魂正しからざれば、人間たるの価値は無し。
さればこそ、人、人たるの真髄を育み下さるる師の御心労、
いかばかりなりやと推量致し得るは、己れ行なりて、魂目覚め得て、
初めて成し得る事なり。
さればこそ、最後の修行たる密教においては、
師は絶対なりと命ずるものなり。
たとえ、白を黒と言われようとも、弟子は皆、
それに従う事を絶対なりと命ずるものなり。
密教の諸流に別れたる所以、ここにあり。
さればこそ、同志たるの資格有りや無しやと、各人自らの心に問うべし。

師は仏の使いにして、無知なる己れに御仏の存在を知らしめ、
近づかしめんと、様々に心砕き、陰より祈り、表に様々なる方便を以て、
赤子の如き己れを導き育て下さるる事の、
大慈悲心に何を以て報いんといたせしや。
師は絶対なりとの義を心得ありや。

情けは父母の如く。教えは仏の如く。
溢るる情けありて、厳しく戒めらるるを真に悟りて、いくばくの感謝ありや。
報い奉らんの決定に、到達成すべき修行なりや。
無駄に心身を浪費致して、
さて、何の取柄も無き己れとは成り下がりおらざるや。

修行とはまず、師に仕うる事、仏に仕うる如くなすこと第一なり。
しかして、己が心をしかと仏に結び下さる師の御教えに、
絶対服従すべき事なり。
いたずらに次元低き己が心に計りて、
批判致すが如き下根のものとなりては、悪修行なり。

同志一同の者よ。汝等を力と頼みて、己れに恥じざる様、
人知れず修行いたす師の心情哀れと思うが故に、
観音あえて申すなり。
汝等師に対して、あまりに無礼なる己れとなれるを知らざるや。
深く反省致すべし。
一度は許しおくなり。されど、二度は許さざるなり。
さもなくば、照真正道会、ただの外道と成り下がるなり。
即身成仏の実、かならず顕現致しくるるべし。

合掌


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