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正法とはつまり我が運命への挑戦である。
何故ならば、出生という出発は皆誰も同じであるが、
この点において千差万別、
皆それぞれに早や立ち向かう方向は別々である。
ある者は大勢の人々に待ち構えられて大歓迎を受け、
ある者は無きに等しき扱いを受け、
更に又、いみじくも道の端に見捨てられる者もありて、
温かく抱かれてすくすくと伸びゆく者、
冷たき環境に生くる事すら危うき日々を過す者もありて、
ようようにそれぞれ成長いたすにつれて、
序々に過去世の因が果となりて、
現るる現世の生い立ちの中に個性それぞれに発達いたし、
ある者は巨万の富にうずもれて、己れを見失う人生の落伍者となり、
ある者は貧の中より出で立ちて、
ふるい立ち、最高の地位と権力を得る者もあり、
世にひしがるる者、世に奢る者、
皆それぞれの過去を因となしたる現世の因果はたして、
この世を終わりゆく運命にありて、
いずれを幸・不幸と定め得べきや。
そはただ心一つなり。
我が本性は霊なりと達観なし得て、
その為にこそ精進努力なす人生にありてこそ、
如何なる因ありとも、必ず果は定めのままならず。
深き因縁の元に、哀れ生死もおぼつかなき出生にありとも、
又生れ出でての人生如何に悲惨なりとも、
過酷なれば過酷なる程にふるい立ちて、求むるはただ正法、
即ち天地の理に、逆らわざるを以て絶対なりと、
我れと我が心にむち打ちて、ゆがめるを正し、
やましからざる根性にこそ真実ありと、申し聞かする克己心に、
ただ一心もって仏にすがり、
源はこれ唯一なりと、一心不乱の精進なす人生に於いては、
必ず無限の威力加わりて、無量の神力現さるる事必定なる故、
如何なる非運の元に出生なさんとも、
必ず必ずその運命は修正いたされ、
最高の幸運をかち得るものなり。
人、出生に当りては、過去を背負いて、
いたし方なき環境と立場に立たさるるものなれども、
その中に一点の仏縁あらば、
必ずこの因にすがりて仏との縁深め深めゆく修行に於いては、
何人も立ち向かうあたわざる勝利を得るものにあり。
何故ならば、その人こそ正法行者といたして仏の威力につつまれ、
絶対なる御加護の中に安住いたすが故に、何人も冒すことあたわず、
何人も打ち勝ち得ざる絶対の境地にありて、
即身成仏の域に到達なし得たるが故なり。
即ち正法とは、いかなる運命をも最上となす唯一の法なり。
合掌 |


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