今月の法話
アジサイ  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2022年7月1日掲載)
物の生命

一切の物に生命があります。
例え瀬戸物の様なもの言わぬ物にも、
その物の役目果たさんとする命の切実なる願いがあります。

それは、それぞれの作られた目的、即ち役目役目がありまして、
その役目を果たす事によって、命は脈々と生きるのであります。

それ故に例えば、お茶碗一つにしても御飯を盛って頂く事によって、
お茶碗の役目は生かされ、その盛られた御飯を頂く人の心によって、
そのお茶碗の価値がまた、それぞれに違って来るのであります。

このお茶碗あればこそ、食事が出来るとおし頂いて用いる心は、
役目を果たすお茶碗の心に、
生き生きと通じて命の躍動を感じるのであります。

それは、お茶碗自身の土にも、
またそれを作った人の心にも通うものであります。
そしてそれはまた、自分自身に感謝となって返って来るのであります。
木でも土でも石でも紙でも、この様に心の通い合うと言う事は、
すべてこれ、元は皆神の御心によって現されたものでありますから、
神の心に通じてゆくからであります。

それ故に、心なく見える、この様なもの言わぬ物でも、
すべて役目を果たそうと一生懸命であります故に、
その一心を理解して、尊く ありがたく用いるところに、
人の役目があるのであります。

茶人がお茶碗を大切にする心は、そのお茶を飲むだけのものとはせず、
お茶碗自身の姿、形から土の温もり、
作者の心にまで深く心を注いで愛してゆくところに、
お茶の美味しさを深く深く味わっていけるのであります。

このもの言わぬ物に通じて深くいたわり、
愛し、心をかけて感謝するところに、
人の心を喜ばしめ、温め、慰め、いたわり、
また励ます偉大な力を発揮させてくれるものであります。

これが、目に見えない神の心を感じとる事のでき得る事でありまして、
人の心に宿る神の心を感じ得るものであります。
人と神との交流は、ここにもまた有るのでありまして、
それが用いる人の心に悪念を呼ぶものとなれば、
人と悪魔との交流に変わるのであります。

例えば、虚栄のために巨万の財を積んで買ったとしましても、
自分の心の驕りの為に用いたり、
また金儲けの為に人をだます道具としたりなどと、
神の御心に反した用い方をすれば、
せっかくの神の恵みも悪魔の餌食となって、
かえって世の中を乱すものとなるのであります。

それ故に、心なく見えます物も、それを用いる人の心によって、
神の使いともなり、また悪魔にも変化してゆくのでありますから、
私共の心とはただ自分一人の為に、
どんなに全てのものを支配しているかと言う事を深く深く考えて、
この世のもの全てを、神の使いとして用いる事の出来るような、
心がけを忘れてはならないのであります。

万物全て神の御心によって地上に現されたのでありますから、
私共人間の心によって、
それらを全て神の命と悟って使わせて頂くところに、
その物の生命を真に生かせてゆく事となるのであります。

合掌


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