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人間とは、情けである。
故に、情けのない人間は、血の通わない人形に等しき者である。
人形とは、善もあり、悪も現わして、人の心を動かすものなり。
情けの通わない人形的人間とは、つまり己れの意志を持たぬ者、
他人の意のままに操られて、自分自身は信念もなく個性もなく、従って、
生くる目的も方向もわからず、ただ他人の意のままに従わしめられて、
己れの生とは何たるかをも自覚致されぬ人生は、
生くる屍の如きものにして、何の意味もなき生命なり。
人間とは、左様なものに非ず。
各人一人一人が、自己の生命の何たるかを自覚なし、
善にもせよ、例え悪にもせよ、
各々が使命を全うせんがための人生なるを、
よくよく悟り得て、さて、善とは何か、
悪とは何かをしかと確かめ得る修行なし、
己が立場のいかなるものかを自覚なし得て、使命の尊さを悟り、
善に目覚める為の進歩向上こそ、
人たる者の為すべき在り方なりと悟りて、精進努力なす生き方にこそ、
その人生の真価ありと悟り得る処に、善悪の分別自ら誤たざるものにあり。
此処に神仏の尊さ、偉大さを体得なし得る正しき人道、
開かれゆくものにあり。
仏道とは、人間にありて、遂に極むべき、最高の目的なり。
娑婆世界に人として生まれし所以、ここにこそありと悟り得て、
邁進なさんことこそ、これ人間最高の生き方なり。
御手差し伸べて、御仏しかと導き給わり、自らも又いそしみ励みて、
只ひたすらに命捧げて生くる人生にこそ、
生まれし甲斐ありたりと申すものなり。
人生様々なる道ありと申すも、遂に、揉まれ揉まれし悪より逃れ出で、
善の何たるかを悟り得て行うところに、
人、仏とならんの最終目的達せらるるものなり。
合掌 |


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