今月の法話
タンポポ  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2022年3月1日掲載)
御仏の御言葉のみ真理なり

人の言動に惑わされて肝心の神を見失いて、
自分が何の目的で此処に来ているのかを分別出来なくなる事は、
あまりに愚かな事でありまして、
自分の小さな心で物事を見るが故に、
他人の言動を自分自身のはかりで計って、
しかもそれが観世音大菩薩の聖堂で行われる事を見聞きして、
その者自身の間違いと分別出来ず、
教えそのものが間違っている様に思う事は、
自分の小さな器で神を計る様な愚かな物の考え方であります。

此の道場は小さくて、他の立派な新興宗教の様に、
大勢の信者が集まる大講堂ではありませんが、
観世音菩薩様が厳然と在します事は、皆様の肉眼に、
はっきりとその実体である光明を現して、御見せくださっているのです。

他の宗教の集まりとの違いを、ここにはっきりと分別しなければ、
間違った言動をする事は、
御本尊に対し奉りどんなに御無礼となるかを考えた時、
この誤りはいくら御経を上げてみた所で、
その効果は現れないはずであります。

先ず自分の姿勢を正して、御神仏に対し奉って、
申し訳ない言動をしていないかどうかを常に反省して、
いつもおわびの懺悔と改悔の行に打ち込み、
過ちは小さい間に直して行く心掛けでなければ、
過去から持って来ている現在の汚れた自分を浄めて行く事は、
到底出来ないのであります。

それ故に御本尊の存在を忘れて、
同行の者の悪をのみ見聞きして、自分なりに勝手な批判をして、
迷う様な愚かな心ではあまりに恥ずかしい自分であって、
信仰の本道をはずれてしまった心であると気付かねば、
神や仏にならねばと教え下さる教理の本道が、
分るはずはないのであります。

せっかく生きて在します観世音大菩薩を尊師と仰ぎ奉り、
直々御教え頂ける様な、
稀な道場に入る事が出来た自分の果報を喜ばずして、
他人の悪いところにばかり目をつけて、
御教え下さる肝心の観音様を見失っては、
此処に求道してくる意味は全くないと申すより他ありません。

真の修行とは、現在の様な汚濁に満ちた世の中で、
汚れに染まらない蓮華の花の様に、
しっかと自分の魂を浄化して行く事が、
真の修行なのでありますから、
汚れた他人の悪い所にばかり心を奪われて、
自分自身を失くする様な事は、
又しても自分を亡者とすることでありまして、
悟りなど到底出来ない闇に彷徨わねばなりません。

御本尊は私共の尊い師であらせられ、御直々に教え給わる御教えこそ、
私共が遵奉して精進努力し、身にも心にも頂いて、
成仏しなければならない現世唯一の正道なのであります。

共に修行の道程にある信者には、
未だ神仏とはなっていないのですから、
迷いの間違いは多々あるはずです。

批判する前に自分を反省して、人の過ちを自分は踏まないようにと、
自分自身の反省の糧として自分を磨いてゆかねば、
批判して自分を見失い、御尊師を忘れて道場を去る様な事では、
とてもとても、真の信仰は出来ない小さな器であると、
悟ねばならない処であります。

合掌


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