今月の法話
雪  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2022年12月1日掲載)
生命は神に在り

此の世に絶対なる必要あればこそ、我は今此処に存在致す者なり。
あれこれと、己が小さき我見を以て、要・不要を定むるは、
あまりにも不遜なり。全宇宙神に在りて、その中に存在致すと申す事は、
即ち我神なりと申す事なり。

善悪いずくに在りと、何を以て定むべきや?大小様々にあるも又、
誠に自然なり。上下左右在りてこそ、全てとなりて整うなり。
大自然ありのままに従いて、これを乱さざる事こそ、
我が存在の意義なりと悟り得て、ここに存在致す我が生命の尊厳なり。

ありのままに生かされて、我が生命の全き使命をこそ果たし終えるを、
現世一瞬の命なりと、必死に役目果たし得てこそ、神たるの証なり。
使命終えて元に還らんは、又、悠久の大儀なり。

人、神に在りと己が存在の大意義を悟り得るは、まさに現世に現われて、
後世に遺しゆく人生最大の有意義なり。
さればこそ、人々上下の差別なく善悪不別の存在とは、
例えば、人体を以て大宇宙と考うる時、人の体に差別なく、
髪の毛一筋なりとも、手の爪一つなりとも皆、その人そのものにあり。
一筋の毛から、何人たるかを明らかに探り得るが如く、
毛一筋にもその人格の存在を明らかに示すが如く、
人体の隅々までも、上下左右全てに、要・不要の在るべき所無し。
さればと申して、例えば、癌に侵されてもはや不要の物なりと取り除けば、
その人の命絶たんが如く、悪も又、人体の一部なり。

命長らえんとて、様々に手を尽くして、人体の全きを計らん事こそ、
その生命の使命なり。さればこそ、命尊く、
いかにしても人体(宇宙)の存在全きを必死に願いて、
務めゆく事こそ、存在の意義なり。

この人体、小宇宙の一日も長き命願いつつ、
必死に務め励みゆく処にこそ意義ありて、この精進無き人生は、
在りて甲斐無き、垢の如く淘汰致されて、無限の闇路に流されゆくなり。

されば大宇宙とは、明暗いずれも存在致す処なり。

常に光明の輝きて、無上の歓喜に生かさるる、
己れと成らんが為の常精進にこそ、生くる価値在りと真に悟り得て、
務め励む事こそ、現世一瞬の生涯を、神と為し得る唯一の道なり。

合掌


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