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此の世に絶対なる必要あればこそ、我は今此処に存在致す者なり。
あれこれと、己が小さき我見を以て、要・不要を定むるは、
あまりにも不遜なり。全宇宙神に在りて、その中に存在致すと申す事は、
即ち我神なりと申す事なり。
善悪いずくに在りと、何を以て定むべきや?大小様々にあるも又、
誠に自然なり。上下左右在りてこそ、全てとなりて整うなり。
大自然ありのままに従いて、これを乱さざる事こそ、
我が存在の意義なりと悟り得て、ここに存在致す我が生命の尊厳なり。
ありのままに生かされて、我が生命の全き使命をこそ果たし終えるを、
現世一瞬の命なりと、必死に役目果たし得てこそ、神たるの証なり。
使命終えて元に還らんは、又、悠久の大儀なり。
人、神に在りと己が存在の大意義を悟り得るは、まさに現世に現われて、
後世に遺しゆく人生最大の有意義なり。
さればこそ、人々上下の差別なく善悪不別の存在とは、
例えば、人体を以て大宇宙と考うる時、人の体に差別なく、
髪の毛一筋なりとも、手の爪一つなりとも皆、その人そのものにあり。
一筋の毛から、何人たるかを明らかに探り得るが如く、
毛一筋にもその人格の存在を明らかに示すが如く、
人体の隅々までも、上下左右全てに、要・不要の在るべき所無し。
さればと申して、例えば、癌に侵されてもはや不要の物なりと取り除けば、
その人の命絶たんが如く、悪も又、人体の一部なり。
命長らえんとて、様々に手を尽くして、人体の全きを計らん事こそ、
その生命の使命なり。さればこそ、命尊く、
いかにしても人体(宇宙)の存在全きを必死に願いて、
務めゆく事こそ、存在の意義なり。
この人体、小宇宙の一日も長き命願いつつ、
必死に務め励みゆく処にこそ意義ありて、この精進無き人生は、
在りて甲斐無き、垢の如く淘汰致されて、無限の闇路に流されゆくなり。
されば大宇宙とは、明暗いずれも存在致す処なり。
常に光明の輝きて、無上の歓喜に生かさるる、
己れと成らんが為の常精進にこそ、生くる価値在りと真に悟り得て、
務め励む事こそ、現世一瞬の生涯を、神と為し得る唯一の道なり。
合掌 |


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