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人は現世に生まれ来て、過去の罪障一切を懺悔し、
清浄となって霊界へ還えり、菩薩となって又、衆生を成仏道へと導いて、
初めて信仰の功徳を得られるものであります。
自分に数え切れない程の罪を重ねて来て、
またしても今世でその上に罪を重ねていく、
愚かにも哀れな人生を送る事の、なんとみじめな事であるかを、
いろいろの不幸の報いで悟されるのであります。
珠に、せっかく神仏を奉じ、法を信じて一心に信仰しながら、
間違いに気がつかない無智な信心の心を哀れみ、
何とかして真実を悟らせてやりたいとの御慈悲で、
人を選んで正しい道に導かしめんと、
陰からの御手配によって働かせられている人々の存在を見極めて、
師を選ぶ心の方向誤る事なきよう、明らかな智慧を磨いて進まなければ、
本当の懺悔も、向上も、また進歩も有り得ないのであります。
何故に人は信仰の方向を誤るのでありましょうか?
それは皆、自分の欲を元にして、我欲を満たさんとするあまりの心が、
真の神仏とはどの様な御方なのかと、
考えてみる余裕を失ってしまうのであります。
この真実の神仏か否かを見極める心の余裕こそ、
最も大切な信仰の根本であります。
それは冷静に只今の自分の現実を見つめていく事であります。
自分の現実こそは、自分への真実の道を教えているのであります。
まず、病気、貧乏、不和、不満等、満たされない心の嘆きはみな、
自分が作った罪の報いとして、
只今自分に現実を以て教えられているのだと分った時、
この分別の智慧を恵んで下さった御方こそ、守護神であると信じて下さい。
そして悪い事をしたからこそ、親が大きな愛で叱るのと同じく、
自分を正しく導いてやろうと、必死で見守っていて下さる守護神なればこそ、
このように戒めて下さるのだと深く感謝して、
正しい自分にならなければ真の幸せは得られないのだと悟った時、
初めて人は真の神仏を知るのであります。
そしてまず、今までの無智から犯した罪障の数々を心から懺悔し、
その罪滅ぼしに、力の限り善根を積んでいこうと決心した時、
人は初めて真の信仰とは懺悔でなければならない事、
また一心に奉仕して、神に仕え、人に尽くす事こそ真の懺悔であり、
自ら極楽を築く道である事、
これ即ち真の信仰をして神仏に喜んで頂く事の出来る人生で在ると分った時、
その人の人生航路は大きく方向転換するのであります。
そして今までの不幸は徐々に消えていき、
感謝と報恩の真の心が目覚めて、
自ら神仏への進歩の道を開いてゆく事が出来るのであります。
合掌 |


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