今月の法話
七夕  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2021年7月1日掲載)
人皆神の子なり

汝等はすべて神の子にあり。
されば、神の子たるの実相顕現いたしてこその、その真価なり。

即ち神とは、一切の悪事に加担せず、一切の悪念なく、一大調和の世界
の中に存在ましますものなれば、汝等神の子たるの実相とは、
その中にこそあるべきものにして、一大調和の世界とは、
まず「義」をもって第一となす処にして、
義を根本になしたる「愛」そのものの顕現こそ、一大調和の神の世界なり。

されば汝等、親子の義、夫婦の義、兄弟姉妹の義、師弟の義、隣人の義、
長幼の義、友人の義、等すべてこれ等一切と相むつみ合う事、
まず義を置きてこその愛にあり。
如何に親しき仲にても、義を忘れたる凡愛におぼれなば、
調和の世界は乱されて池に小石を投じたる如く、
波紋は次第に広がり大きくなりては、止め様も無き破綻を来たすものなり。

己が安住の地に波紋起りなば、まず己れを反省致すべし。
即ち、己が心に義を離しおらざりしやと。
神仏は絶対に公平なるものにして、上下の差別なく平等に愛し給うものなり。
されば如何なる実相に於ても、調和欠くるは神に通ぜざる証拠なりと悟るべきなり。

一大調和なる神仏の世界に、微塵の不幸もあるべきものにはあらず。
己が身に不幸なる現象あらば、すでに神仏より遠ざかりたる己れを深く
反省致すべきなり。
「端座して実相を思うべし。衆罪は霜露の如く、慧日よく消除す」
と仰せ給う御言葉よくよくかみしめて、
静かに己れの心を見きわめ現実と照らし合わせて、
いずれより来たりし悪相なりやを悟るべし。
悟りて深く懺悔なす時、如何なる罪障も霜露の如く消え去るものなり。

災いは転じて福と化す事、即ち転法輪の御功徳を頂き得るなり。
人はかく悪世に在りて、ややともすれば悪に染まりし己れを知らずして、
知らず知らずに調和を乱し、
己が心に波紋を起こし、その波紋、次第次第に広がりて、
ついに手の届かざるまでとなりて
初めて気づきし時はすでに遅く、救わるるすべなくこの世を終わるもの多し。
現世の中に救われざる者、地獄の苦しみに耐えがたく、
ようよう神仏にすがり奉る心となりて救わるるものなれども、
その罪の深さによりては、一生にしても仏には逢い奉り得ず、
二生にしても尚逢い奉り得ず、三生、四生、五生、六生、
七生といく度もいく度も生れ変わりては、地獄に落ちて辛酸をなめて、
己が犯せし不義の大罪懺悔し尽さねば、
神仏の世界には入れられざるものにありと戒められあるをよくよく己が心に刻みて、
この世に悪相現れなば、直ちに懴悔、改悔にと一心こめて修行なし、
せめて今世に懴悔し尽くして許されんことをこそ、切に祈るべし。

これ、真実の信仰にあり。
大御親たる神仏は、いとしき我が子、
この真心に目覚めゆく日をのみ切に待ち給いて、
いろいろと心くだかれ給う故にこそ、修行の因縁次々に出されて、
汝等を懺悔清浄となし給うものにあり。

さればこそ、苦難に遭へば、神仏身近に在しまして、
励まされ給うものなりと信じ奉り、必死に清浄と成らんをこそ祈るべし。
義を外したる身勝手なる考えを悟りなどと思い違い致すは、
もってのほかの増上慢なりと、しかと心に刻みおくべし。

神仏に直々通ぜざる者の為には、
師といたして神仏への取次許されたる光照与えおくものにあれば、
己れ身勝手なる考えを悟りなどと思い違い致して、
深き痛手に泣く者とはなりくるるなよ。

一人一人が神の子たるの実相顕現いたす事こそ、一大懺悔清浄の証なり。

合掌


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