今月の法話
カーネーション  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2021年5月1日掲載)
悟りの功徳

悟りとは神の真実なり。
真実とは神仏にささげ奉る唯一の贈りものなり。
故に、その真実に応じて神仏の返し給わる御功徳が悟りなり。
されば悟り無き者は真実無き故なり。
真実無き心とは、己が身の欲のみに没頭いたすが故に、
他人の事には心至らざるなり。

人に心尽さぬ者が、
何じょう人より心尽さるることのあるべきぞや。
己が捧げてこそ、人己れに捧げくるるなり。
ましてや神仏に対し奉りて真実無き心に、
神仏よりの御返しあるべき筈は無し。

如何に形ばかりの行を為すとも、
真実無き心には悟り開かれざる所以ここなり。 
されば真実とは?
則ち己れを捨つる事なり。

己れを思う我欲の為に、人は真実を見失うなり。
多千億の仏に仕えて、大清浄の一大御念願を立て給いて、
久遠に御身を捨て給いて、
人の為にのみ尽し給わる観世音を御尊師と仰ぎ奉りながら、
その御身を以ての御教えを、
我が身に実行いたされずして何の弟子ぞや。
我が身の愚かさを悟り、身の不浄を悟り、貪欲を悟り、
如何に下劣の者なるかを悟り得ずして、
何の向上ぞや、進歩ぞや。

清浄となるべき道の分かる筈も無き者の、
成仏などとは到底及びもつかぬ事なり。
「端座して実相を思うべし」と、宣いしは此処の事なり。 
我が身いくばくの真実捧げありや?
その真実にのみしか悟りの功徳は頂き得ざる事、
よくよく分別いたしみるべし。

人に捧ぐる真実こそ、神仏に捧げ奉る真心なり。
真心の極みに神おわしますをば片時も忘るべからず。
人を蔑む前に、
その姿こそ神仏より見下ろされたる我が心なりと悟るべし。
この深き反省より懴悔は生まれ、
改悔なしゆく心の清浄を得られゆくなり。

人を見る事己れの鏡なりとは当に此処なり。
人の悪をのみ見て悪しざまに罵るは、
己れの悪をかく罵らるると悟るべし。
正法行者とは常に己が一言一行に心を置きて、
ゆめゆめ相手を傷付けざる事こそ肝要なり。

例え過ちにもせよ、身に為したる行為、
又は心に思いたる悪念にいちいちに
反省の自覚なし、懴悔の行なし尽して神仏に一心に謝るべし。
ここにこそ真の行あり。

己が犯せし罪科に心付かずして、
知らず知らずに積もり積りて今日ありとしかと自覚いたして、
今後は一切の罪科犯さざるは勿論、
過ちて犯したる時は、ただちに懴悔、
改悔なして一つ一つを消滅なしゆく処に、
次第々々に清浄となりゆくものなり。

罪とも知らず、科とも気付かざりし過去の数々振り返りみて、
空恐ろしきばかりを悟り得て、始めて己れ許さるるなり。
正法行者よ、今世にこそしかと行じて、
必ず菩薩道達成いたすべし。

重ねて申さん、真実捧げた分だけが、
神仏より返さるる悟りの功徳なりと、しかと心に刻みおくべし。


合掌


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