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各家それぞれに家紋がありますが、
家紋とはそれを守り尊重する精神に重みがあり、
尊さがあるのでありまして、
紋そのものの形や大きさに尊さがあるわけではないのであります。
それを、現在はただ形ばかりに囚われて、
自分の家の紋がどのように深い意味があり、
そのいわれ故に重んずる事が、子係としての信念であり、
堅い信念を以て家の名誉を守り抜くところに、
家紋の真の意義がある事を忘れてしまっている現在なのであります。
家紋とは、いわばその家の名誉の象徴故に大切なのであって、
家の名誉を守り、
家庭の繁栄をはかって先祖への報恩を志す心掛けがなくては、
家紋を重んずる意味はないのであります。
それ故にこそ、
家紋は少しでも間違ってはならないと申すものでありますが、
現在ほとんどの人々は真の意味を知らずして、
ただ表面の形にばかりこだわる形式上の軽薄な心で、
紋付の着物を身に着けて平気な態度故に、
結婚式や葬式に高いお金を湯水のように使い、
あえて家紋の恥となるような家庭不和や離婚をも顧ない、
浮薄な心を反省するゆとりのない人生となっているのであります。
先祖伝来の家紋とは、先づ第一に先祖の徳をあらわし、
家の名誉をあらわす為にあるものでありますからこそ、
少しでも間違ってはならないのでありまして、
この真の意味を知らずして、ただ形式ばかりに付けるのであれば、
どんな形でありましょうとも問うところではないのでありまして、
紋付の意味など全く無視していると申すものであります。
従って、形ばかりにこだわって云々する事は、
愚の骨頂と申すべきです。
永い歴史の一駒である只今の自分とは、
ちょうど背骨の中間の一駒のようなものであります。
その一駒が狂ってしまっては、身体そのものが狂ってしまうように、
過去から未来につながる歴史の一駒である現在の自分が、
狂って間違いを犯せば、自分の家庭の永い歴史に汚点をつけて、
未来にまで不幸を呼ぶ事となるのであります。
それ故にこそ、
現在の我れは最も大切な我が家の重鎮であるわけでありますからこそ、
家を重んじ、家族の名誉を傷付けない為にこそ、
「自重自戒し繁栄の為に力を尽くして次の代に伝えよ
」
との教訓のために我が家の紋はあるのでありまして、
紋付は着物の飾りではないのであります。
この尊い家紋の意味を知らずして、
徒らに形ばかりに囚われる浮薄な心を深く戒しめ、
卑しくも紋付の紋に因われるからには、
家紋を恥ずかしめない強い戒めを自分の心にこそ、
刻むべきところであります。
合掌 |


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