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一つの事に囚われて思い続けるという事は、それが悪念であれば、
霊障となってなかなかに解け難いしこりとなり、
それが善い念であれば、
悪の根源をとかせて次第々々に成仏となっていくのであります。
それ故に、憎しみとか恨みとか怒りの様な悪念を持ち続けていくと、
次第々々に自分の体も心も悪化して肉体的には病となり、
精神的には悲しみとか苦しみとか、
失望とかの地獄を作っていくのであります。
そして環境的には、不和や争いや貧乏などの不幸を招き、
もがき苦しむ人生となるのであります。
反対に感謝とか喜びとか尊敬とかの善い念は、自分の肉体の、
一つ一つの核の細胞を生き生きとよみがえらせて健康となり、
人と人との相和した平和を作り、
知らず知らずに豊かな心となって生活も豊かになり、
満ち足りた不平不満の無い、
円満な人格と環境を作っていくのであります。
これがこの世の極楽でありまして、
この心のままで霊界に移っていくところに、
あの世も又極楽の世界となるのであります。
それ故に人間は肉体を与えられていろんな人に交わって、
自分の心の鍛練をさせられ、どんな事があっても、
常に善の心を離す事の無い、
強い信念を養う修行をしているのでありまして、
現世とはつまり自分の魂を磨く為の修行道場でありまして、
肉体を楽しませる為の遊戯場では無いのであります。
この肉体を楽しませる為の現世であるかの様な思い違いが、
地獄を作っていくのであります。
思いやりの無い、自分さえよければ良いという様な身勝手な心ゆえに、
人は悪魔と化すのであります。
悪魔のはびこる世の中に、どうして幸せが得られましょうか。
よくよく考えて、まず自分からこの悪魔の世界を、
神や仏の世界に変えていこうと心がける事が、信仰なのであります。
悪を罰するよりも善に変えていくところに、
仏の慈悲が現われるのであります。
人も自分も共に善に変わろうとする努力が導きとなって、
御仏の御慈悲にすがり寄る素直な心を作っていくのであります。
神や仏によって生かされている人間が、
悪魔に使われて、悪魔と化している現世の有様は、
何としても自分自身をすら地獄に落し入れる様なもので、
いつ何処に落とし穴が待ち構えているか分らない、
不安と怖れとにびくびくして暮らすよりも、
いつも神仏に守られて何の不安も恐れも無い、
平和な人生を送る事の幸せを、
しみじみと味わう事こそ、
信仰者にとっては最大の御功徳なのであります。
正しい心で一心に神仏を見つめ、
片時も離さない生活は、人間の肉体を生き生きと活動せしめ、
精神を崇高に高めていく理想の生活であります。
そこには少しのゆがみも無く、間違いも無く、子は親に孝であり、
夫婦はたがいに睦まじく、人々は信頼し合い、
愛し合う極楽の境地となっていくのであります。
これが真の信仰の姿なのであります。
日々を省みて、自分の姿にいささかも、
この信仰者としてのやましさは無いかどうかを、
反省しながら生きていく事こそ、
この世を極楽浄土と変えていく道なのであります。
これこそ本当の人間の生き方なのであります。
合掌 |


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