今月の法話
栗  ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。
 

 (2021年10月1日掲載)
功徳を頂く秘訣

衆生己が我欲の為にブンブンと、
はえや蚊のうなるが如き雑音に悩まされ、
鎮魂の行、為し難し。 
故に無量の神力流れ入るを、自らとどむなり。

「観世音浄聖は、苦悩、死厄に於て、能く為に依怙と作れり。
一切の功徳を具して、慈眼をもって衆生を視る。
福聚の海無量なり、是の故に頂禮すべし。」と、
み仏御自らに御諭し給わるものを、凡夫の浅知恵、
邪(よこしま)なる我見をもって、我が身の煩悩満たされざれば、
かえって観世音菩薩を疑うが如き愚を顧みず、
又しても暴法の罪重ねゆく浅間しさなり。

観音経よくよく読誦なし、身のすみずみにまで刻み付け、
片時なりとも離す事なく、「南無観世音大菩薩」と唱え奉らば、
観音妙智の無量の御諭しとうとうと流れ入り、
一切の苦厄より逃れ出ずべき道、明らかに示され給わるものにあり。

瞑想にしばしの時を一切の世俗より離れ得るは、
己が身の観世音菩薩の御慈悲の中に包まるる事となり、
ひいては一切の苦厄より解脱なし得る、
貴重なる時となるものにあり。

日々のわずかの時を、この貴重なる体験の為に用うるなれば、
「念々に疑いを生ずる事なかれ」と、
しかと釈尊の仰せ給わりし御言葉もあだにはならず。
衆生の一心に神仏を頼むは、
ただ我欲の満たされん事のみなるが故に、
信仰の道過まるものなり。
「我欲」とは即ち「煩悩苦罪」なりと悟り得る時、
無垢清浄なる神仏に、汚れし我欲をむき出しにさらけ出す、
己が醜くさ、浅間しさ、言わん方なき乱れなりと顧みて、
ただ一切を「御心のままになし給え」と祈る無我の祈りにこそ、
「真実の道」開かせ給わる信仰なりと頷かるるなり。

ここに初めて、観音妙智の無量の神力とうとうと、
我が身に流れ入るものにして、
現世一切の苦厄より逃れ得る事となるものにあり。
信仰の功徳とは、即ちこれなり。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と申す所以なり。
遠回りの如くに見えて、近道の功徳を頂く秘訣なり。

合掌


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