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真心とは人知れず尽くす事なり。
人知れず尽くし切る心にこそ、神仏宿り給うものなり。
魂の光とは、この人知れず尽くし切る所にこそ輝き渡るものなり。
人前に見せびらかす行為は皆我欲より起るものなり。
人知らずとも、常に神仏在し給うが故に、陰徳あらば陽報ありと申すなり。
人知れず尽くし切る真心にこそ、光現れてその徳現実に「幸福」となりて、
己れの喜びと還えさるるものなり。
たとえ長き年月の如何なる艱難辛苦ありとも常に心の光失う事なく尽し、
尽して、耐え忍ぶ人生にあれば、その艱難辛苦神仏ともに背負い下さるるが故に、
心はいと安らかにして、己が尽し尽すを重荷とは感ぜらるるものには非ず。
故にかくばかりささげ尽くすを、、、、などと思う心は、
すでに尽くし切る心とは申されざるなり。
今だ足らず、尚今だ足らずと、一心にささげ切る心にこそ、
真実(まこと)尽くして悔なき心のすがすがしさをおぼゆるものなり。
此のすがすがしさこそ如何に因縁深くとも、
遂に洗い清めて己れを神や仏と成す光なり。
人と生まれし果報とは、遂に神仏と還元なす一事のみなり。
と悟り得る時、短かき生涯いかでや、
只一瞬の快楽に尊き命あだに過し得様ぞや。
いく度もいく度も生まれては死に、生まれては死に、
此の娑婆世界のあくたの如き人生をくり返し、くり返し来て、
今やうやうに光に逢いたるが如き己が魂の目覚めを得し事、
ゆゆしき大事と悟り得し者の幸は、
地獄と思いし修羅場もたちまちに浄土と変わる心の光にふれて、
仰ぎ見る神仏の御慈悲、しみじみと感謝なす事にあり。
如何なる不幸も此の光の前には、闇を照らせし光の如くに消ゆるものなり。
されば人生の幸、不幸とは、
まさにこの真実(まこと)の心の光見出し得るや否やにかかるものなり。
人知れず尽くし切る心に光る真実(まこと)とは、
人生至上の幸を招くものなりと悟り得て、不幸を嘆く前に、
先ず己が心の尽くし切れざる至らなさを反省なすべし。
不幸とは、心の闇なり。、、、、闇を照らすは光のみなり。
己が心の闇路をば、尽し切る真実(まこと)の光を以って照らすべし。
合掌 |


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