平成20年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H20.9/1掲載)
懺悔仏道

仏道は先ず懺悔からなり。

人は皆、過去世の故に娑婆に在りとしかと悟りて見れば、
娑婆とはまさに地獄なり。

悲嘆、懊悩、苦痛、すべてこれ我が身の業苦なりと、
悟り得ざれば解脱なし。

解脱なし得ざるが故に輪廻を繰返し、
転生の度に又しても業苦を重ねて、
尽くる処なき無限地獄にあえて自らを投じゆく有様なり。

如何に業深くとも、すがるべき処をしかと悟り得れば、
無量の慈悲と無限の神力ありて遂に解脱なし得るすべこそ、
仏道なり。

折角現世に御仏在りと教え導かるる正法に縁結ばれたる事、
由々しき大事なりと真に悟り得ざれば、
己が身の先ずなすべきを悟り得ざるなり。

迷い迷いて抜け出すべき方向も分らざる、
盲の如き己が心に、一点の灯かざして道示し給わりしは、
御仏のみ使いなり。

救い取らせよとの御声ありたればこそ、
無数の人垣の中より選ばれて、ここに来りしものなる己と悟りてみれば、
これぞ如何なる過去世の大徳なりやと伏し拝みて、
謝し奉る心とならざれば、真の仏縁とはならざるものなり。

それ故にこそ、稀なる功徳頂きて導き入れられたるも、
ゆくべき道の在り方示し下さるる師のありがたさ、
解らざる故に安々といとも安易に去りゆくものの姿、
未来永劫いとも哀れなり。

又しても重ねゆく重き罪咎自ら作りて、
我身に受けざれば相成らぬ地獄の責苦、
いつの日か解脱の光、相まみえん。

人はこの娑婆世界の業苦を自ら作りしものとは悟り得ざるが故に、
重ねゆく罪障なりとも解らず、知らず知らずに重ね重ねて
日々の業の深みにはまりゆくものなり。

一瞬の間の人生なれども輪廻し輪廻して、
いつ果つるやも計り難き業苦に身も焼く憂き世とは、
悟り得ぬ故の無限地獄なり。

一時も早く抜け出す道こそ懺悔なり。
懺悔なくして解脱は無し。
故にこそ、仏道は先ず懺悔からなり。

 合掌


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