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政治家は民を思わず、宗教家は信者を思わず、
全てこれ己が我欲の為に、衆生を利用なさんとの野心を以て、
口先ばかりの奇麗事に人心を迷わし、国を亡ぼす現在の有り様なり。
されば、人類平和の為には娑婆国土一掃致して、
秩序在らしめねば、最早到底救われ様なき現状なり。
諸処方々に現るる悲惨なる天災地災、又、人災大惨事、
皆、人心以てこれを現わすものなりとの、大いなる天の戒め、
今更に聞く耳持たざる人類の無知蒙昧、皆これ、
我欲、妄執の虜と成りたる姿なりとは、悟り得ざる愚かさなり。
ここに一大因縁起こりて、人類淘汰の時来たり、
地球娑婆大掃除なさしめらるるは、必然の事なり。
さればこそ、此処に正法厳然と樹立いたして、確固たる法、しかと悟らしめ、
如何になすべきやとの自らの処すべき在り方、しかと示しゆくものにあり。
現状は微々たりとも、その役目大なり。
只今の照真正道会、その存在すら計り難き程のものなれども、
やがて一条の光となりて世を照らし、
人類最後の救いとなるべき大役目、背負いたるものにあり。
さればこそ、如来在しまして、観音自ら先頭に立ち、
現世の悪と闘う一大決定の許に、ここに鎮座いたすものなり。
汝等、光照の役目とは余が表なり。
裏より支えなさしめゆく、余が神力、しかと悟りて、
光照の手足とならんは、即ち余が手足となりて働く事なりと
自覚いたさねば相ならぬなり。
この度、勿体なくも尊き如来の御尊像、奉戴致し奉らん事、
又もって意味無き事には非ず。又、偶然の事にも非ず。
時期到来の故を以て、かく御手配許されたるものにあり。
されば只、単なる仏像の彫刻と侮るべからず。
如来の全身在します、この聖堂にその御姿、現れたるものにありと深く悟りて、
三拝九拝、地に平伏して奉戴致し奉るべし。
しかして日夜を分かたず、一心に命捧げて仕え奉りゆくべし。
ここより正法、初めて無上に広くあまねく行き渡るものなり。
合掌 |


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