平成20年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H20.1/1掲載)
心の糧

人は心の糧を頂きて魂の養いとなすものにあり。

心の糧とは、豊かなる愛の量なり。
豊かなる愛、即ち慈愛とは慈母の心なり。
子を思う母の愛は、何物にもかえがたき尊さなり。

人は子を持ちて、仏の慈悲を悟り得るなり。
されどこの悟りには、常に何物にもおかされざる豊かなる仏心
育ちゆきてこその尊さなり。

人は只、人情に溺れ溺愛に流さるるまま、
子を我が物と思う欲心の愛を悟り得ざるが故に、
母とは申せ悪鬼となりて子を地獄に落としゆくを知らず、
溺愛の子は親の愛欲故に、遂に気儘、我が儘を抑制なす
自制心を失いて人生をあやまつものなり。

親となりては尚更に、我が身の修行、
ひとしおなるを自覚なし得てこその慈母なり。

只愛しさに負けて煩悩のまま溺愛なすは真の親ならず。
子を持ちて尚更に豊かなる仏心育てゆく修行こそ、
絶対のものなり。

又、師といたしては、弟子を思うが故に尚更に
ひとしおの修行励みてこその師なり。

上司となりては下司の者の手本となり得てこその上司なるを悟りて
尚一層の励み精進をこそ必要となすものにあり。

常に我が身の立場、役目を自覚なし得て自らの心の糧、
休む暇なく育てゆかざれば人といたしての価値はなし。

この世に在りて肉体にまつわる物質の一切は、
すべてこれ己が心の糧をはぐくみゆく為の修行の材料なりと思はば、
物質の多寡は問題にあらず。

その物質を如何に我が心の糧となして租借いたしゆくか否かによりて、
自らの魂豊かに育ちゆくか否かの分れ道なるをよくよく悟りゆくべし。

一粒の米、千万貫の値ともなし得るや否やはこれ、
すべて己が心の在り方一つなり。

聖者は三粒の穀物にて身体を養いて、
心の豊かさはすでに地上の神と等しき価値を得たまえるなり。

凡人は腹ふくるるを知らざる迄に貧欲に食して尚あきたらざる心に、
あさり、むさぼり、渇をいやすすべを知らざる餓鬼道なり。

人、仏と成らん道とは、只足るを知りて、
人に与うるにおしみなき心の養いをこそ、
先ず第一と心掛くべきが、豊かなる魂と成り得る唯一の道と悟るべし。

故に布施とは、我が心の糧の現れなり。


 合掌


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