平成19年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H19.9/1掲載)
義行の道

義は根本にありて、行うに愛を以て表す処、
これ神仏の道なり。

されば、義を根本となさざる愛は即ち煩悩にして、
遂に業火と化するものなり。

故に義第一にして、諸法空なるを以て根本義となす処、
第一義より百千万の義を生じ、
百千万より又百千万の義を生ずるが故に無量義となし、
千差万別の分別すべてこれ義第一なるを置きてより外になし。

さればこそ色即是空にして、万有は無に通じ、
色即是空なり。

此処に人といたして、親たる身の第一の義とは
何かを申しきかすべし。

現在のこの悪世に、友達にいじめられた位で自殺する様な
子供に育てては、親としての何の価値もないものである。

戦乱に家を焼かれ、両親を殺され、身なし子となりて尚、
銃口におびやかされ、食するに一物も無き現実の中、
生きぬかねばと必死で生きぬく子供達の何十万とある中を、

又、一滴も出ぬ乳房にしがみつき、必死で生きんとする赤ん坊、
その赤子を抱きて一物も口に入れる事の出来ない母の哀れさ、
それでも尚餓死しても生きんと願う生への執着、
それが行きとし生くるものの本来の姿である。

仲たがいし、友達にいじめられた位で、
安々と死を選ぶ子の不甲斐無さは如何なるを、親たる者、
しっかと現実を見つめて反省なさねば、相成らぬ只今なり。

己れも我子も命の尊さをもっともっとしっかり心に刻みつけ、
いかなる事あらんとも命ほど尊いものはないと申す事、
この際よくよく悟らねば相成らぬなり。

取りかえすすべなき命を失いて尚、
人を恨んでみた処で再び返らぬ悔となり。

悔千歳に残さん為にも、命は絶対なるものにして、
殺されても死なぬ位の信念を持ち、必死に守りぬく事こそ、
生まれしものの唯一の義なりと、親自身がよくよく肝に刻みて、

我子には幼き時より、命こそ絶対のものなりと教え、
守りゆく信念をたたきこむ養育にこそ、必死に取り組まねば相成らぬ事なり。

又これぞ空しく死したる者共をして、
犬死に終わらせぬ唯一の供養なり。


 合掌


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