平成19年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H19.8/1掲載)
護法の第一

此の法を守らんが為には、先ず恥を知る事にあり。
何故なればこれぞ宇宙の大法則なればなり。
大法守りて地球救済の一員とならんが為には、
先ず第一に恥を知る事これ先決にあり。

人は恥を知る事によりて始めて正さるるなり。
されば恥とは何ぞや。

即ち己が良心とも申すべき真我に問いて、
やましからざる言動にいささかの狂いなきや否やの反省なき心なり。

悪を悪とも思わざる、悪に麻痺なした心なり。
善に対して関心なき心なり。
隣人を思わず、己が欲するままをあえてなす心なり。

己が役目立場をわきまえざる心なり。
即ち義を知らざる心なり。
亦、愛を知らざる心は恥の第一なり。

即ち人は大愛に生きてこそ真の人なり。
されば神を知る心とは大愛に目覚めゆく心なり。

子を持ちて愛を知り、人を思いて愛を知り、
哀れを知りそれ等の思いを浄化して大愛の心に目覚めゆくものにあり。

されば大愛とは神の愛なれば、
そこには一点の我欲、煩悩もあるべき筈なし。
大愛ならざる愛は今だ恥じ知らぬ心なり。

それ故に人は我子への愛欲におぼれて共に地獄を作りゆくなり。
人を恋して恋に狂うが故に畜生道へと落ちてゆくなり。
これ皆己が役目、立場を忘れたる恥多き仕義なり。

されば人、人として在らんが為には第一に恥を知る事にあり。
恥知らざれは人間には非ず。
人面の畜類なり。
畜生なるが故に成仏道は許されざるなり。

真を尽くされて尚目覚め得ざる者、人面にして畜生なり。

神仏に許されざる罪科を背負いて悪世に出されたる者なれば、
一生にして成らず、二生、三生にして尚成らざる者あるを
知りて哀れと思い、せめて種蒔きて未来の済度願いやらんは、
人といたし正法護持者といたしての最大の義務なり。

恥知らぬ者、哀れ幾度人の世に出て、
地獄を作りてもがき苦しめば許さるる事やと思いて、
陰より祈りやるべし。

これ己が恥に目覚め得る第一の修行なり。

恥とは知りて始めてそのおぞましさに鳥肌の立つ思いなすものにあれども、
知らざれば畜生にも劣る己れをさらけ出して、尚平然たる姿なり。
ましてその姿、神仏の御前にされけ出して、克明に天にしるさるる事、
未来永劫救われ難きをしかと悟るべきなり。

大法に照らし己が身を振り返り見て、
日々の如何に恥多き我身なりやと反省なす生涯にこそ、
大愛の心は育くまれゆくものにあり。

人生只一瞬の間にして、うたかたの泡の如き存在なり。
消えて尚後世にふくいくたる香りの残るべき存在とこそは成るべきにありて、
逝くべき先は大愛なる神の世界に招かるるなり。

釈尊もキリストもその他人間界に下られて、
人々に大愛を説き教え導かれて天界に還られし神々の
幾永遠に衆生と共に現生に在りまし、
死する事なき尊き御命示され給うをしかと悟り得て、

先人の後必ず踏み慕い参らずんば止まずの決定ありてこそ、
人は現世に生くる甲斐ある存在と成り得るものなり。


 合掌


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