平成19年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H19.7/1掲載)
菩提の境地

人間界を超越する事は、あらゆる業苦に身を焼かれ、
悲痛のどん底にあえぎ、貧苦の極に達し得て、
ようように一切の業苦より逃れんとして必死にすがる一心が、
御佛の慈悲を悟らしめらるるものであり、
己が心にしみじみと菩提の境地を開きゆくものである。

ここに初めて、安穏にうかうかと只快楽を求め、
身の安きを願い、煩悩のままに身も心もゆだねて
浮草の如く人間界に漂いし己れの、
何と浅はかにして無知蒙昧の姿なりしぞと、

おぞましくも後悔の念湧き出でて、
無駄に過ごせし過去への改悔今更に、
身も心にも喰い入る如くに思わるる己れとなりて初めて、
人間界の低き次元にありては、到底成仏は成り得ざる事、

しかと悟り得て、初めて人は仏への渇仰をおぼえ成仏の道、
如何に遠くとも達成なさばやと決定致し得るものなり。

ここに人間界を超越なし得る境地を悟り、
何者も我が意のままにはならず、
何物も我物には非ずして一切は只空にありて、
我も亦その中に実在いたすものにあれば、空即仏なりと観智なし、

我亦その中に在れば、即ち我仏なりと達観いたし得るものにあり。

されば人間界に在りて人間的感情におぼるるを楽しみて
抜け難き煩悩とは、即ち地獄なるを悟らるるなり。

地獄にありて地獄を楽しみ地獄の苦にあえぎ、もがきて尚追求め、
安きを得んと果かなき望みに身をゆだぬるは、
さながらモヒ患者のモルヒネを求めて止まざる浅ましき姿と等しきものなり。

笑止とも云わん方なき愚かさなりと己が安住の地と思いし人間界の
実情に心眼見開きて初めて、人間界を超越なし得るものにあり。

されば、神仏の眼より眺め見る人間界とは、
さながら地獄を楽しみ互いに喰らい合い、殺し合い、
傷つけ合うを楽しみて、その苦しみを益々に広げゆかんとなす畜生道なり。

抜け出でんとようように目覚め得たる者、
さながら爪上の砂の数の如き微々たる者なり。

さればこそ、神仏必死に助け、励まし、手をさしのべて救い上げんと
力いたさるるものなり。これ正法行者なり。

行じて行じて苦より抜け出でて、とくとく参れと
仏道明けらけく照らし給わるものにあり。

人、神となる道、只これ一路なるぞや。


 合掌


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