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観音とは愛の波動である。
故に「南無観世音」と唱うれば大宇宙に充満いたす
愛の波動がただちに身辺を包んで、
如何なる悪魔をも屈服さす力となるのである。
人は肉体を通じて愛を育て養う為に現世に在る者でありて、
人生とは無限の愛を身につける為の時間であり、
修行とは愛を無限に広めゆく事である。
愛とは与えれば与える程大きく広まり、
そそげばそそぐ程無限に供給されるものである。
惜しみなく与え与えて人は次第次第に愛をそそがれ、
それは丁度絶えざる泉の如くに、こんこんと湧き出でて
尽くるを知らざる無限無量の広大無辺と広まりゆくなり。
大宇宙に充満いたす愛の霊波は、
受け入れ態勢さえあれば無限に供給され、
又無限にそそぎゆく処に霊魂の浄化がなされゆくのである。
故に信仰とは、愛を行なう事であり、愛をそそぐ心に
やぶさかならざれば人は遂に観音と現化なすものにあり。
合掌 |


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