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人間界を超越する事は、あらゆる業苦に身を焼かれ、
悲痛のどん底にあえぎ、貧苦の極に達し得て、
ようように一切の業苦より逃れんとして必死にすがる一心が、
御佛の慈悲を悟らしめらるるものであり、
己が心にしみじみと菩提の境地を弘きゆくものである。
ここに初めて安穏にうかうかと只快楽を求め、身の安きを願い、
煩悩のままに身も心もゆだねて浮草の如く人間界にただよいし、
己の何と浅はかにして無知蒙昧の姿なりしぞと、
おぞましくも後悔の念湧き出でて、
無駄に過ごせし過去への改悔今更に、
身にも心にも喰い入る如くに思わるる己れとなりて初めて、
人間界の低き次元にありては到底成仏は成り得ざる事、
しかと悟り得て、初めて人は仏への渇仰をおぼえ成仏の道、
如何に遠くとも達成なさばやと決定致し得るものなり。
ここに人間界を超越なし得る境地を悟り、
何者も我が意のままにはならず、何物も我が物には非ずして
一切は只空にありて、我も亦その中に実在いたすものにあれば、
空即仏なりと観智なし、我亦その中に在れば、
即ち我仏なりと達観いたし得るものにあり。
されば人間界に在りて、人間的感情におぼるるを楽しみて、
抜け難き煩悩とは即ち地獄なるを悟らるるなり。
地獄にありて地獄を楽しみ、地獄の苦にあえぎ、もがきて尚追い求め、
安きを得んと果かなき望みに身をゆだぬるは、
さながらモルヒネ患者のモルヒネを求めて止まざる浅ましき姿と等しきものなり。
笑止とも云わん方なき愚かさなりと、己が安住の地と
思いし人間界の実情に心眼見開きて初めて、
人間界を超越なし得るものにあり。
されば、神仏の眼より眺め見る人間界とは、
さながら地獄を楽しみ互いに喰らい合い、殺し合い、傷つけ合うを楽しみて、
その苦しみを益々に広げゆかんとなす畜生道なり。
抜け出でんとようように目覚め得たる者、
さながら爪上の砂の数の如き微々たる者なり。
さればこそ、神仏必死に助け、励まし、手を差し伸べて
救い上げんと力いたさるるものなり。
これ正法行者なり。
行じて行じて苦より抜け出でて、とくとく参れと仏道明らけく
照らし給わるものにあり。
人、神となる道、只これ一路なるぞや。
合掌 |


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