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真実の己れを見出さん事、そは只真実のみなり。
真実のきわみに己れあり。
人は偽りの己れをのみ自分自身なりと、思いあやがるが故に、
常に偽りを成して己れなりと思うなり。
偽りの己れとは、愛を知らざる心なり。
故に憎しみ、怒り、嫉妬なし、さげずみ、嫌悪なし、
益々己れを真実から遠ざけて悪因縁のとりことなし、
益々窮地に落とし込み、果ては孤独と寂寞のふちに己れを落とし入れ、
無明の闇にさまよいて、自分自身を見失うものにあり。
この無明の闇より救われ度しと切望いたす心となりて、
ようように真実を知られざる己れに気付きて、
初めて無明の闇とは真実なき己れにして、
これ偽りの己れにあらざる我なりと、悟り得てようように
真実の我とはと考え及びたる時、偽りは即ち愛なき心なりと気付くなり。
愛なきが故に人を恨み、人を怒り、さげずみ、嫉妬なし、
相和する心に気付かざるが故に遂に孤独となり、
暗黒の闇に光なき冷たき地獄をひしひしと身に感じ取るものにあり。
これ皆、真の我ならず。
真の我をおし込めて偽りの悪魔が思うままに
我をあやつる姿なりと気付き始めて、
真実の己れを見出さんと必死に求むる処に仏おわしますを知るものにあり。
仏の慈悲に照らされて、人は始めて真実の我とは
光輝く珠玉の魂なるを知るものにあり。
この真澄の珠玉を曇らせてよごらさ、あたりの見えざる暗黒と化したるは、
すべて因縁悪魔のしわざにして己れはこれらの悪魔に思うがままにあやつられ、
悪を悪とも悟り得ざる偽りのまま、なすべきをも知らざる無知蒙昧と
化したる偽者なしなりと悟り得て、人はようように真実の己れを
見出さんと渇望なすものにあり。
この渇望が仏への熱き渇仰となり懺悔となり、
改悔の行に磨き出だされて、ようように真実の己れを
見出し得るものにあり。
この真行と申すなり。
人間真行を知らずして真実の己れを見出せる筈はなし。
故に真の行に非らざれば信仰とは申されぬなり。
合掌 |


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