平成19年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H19.10/1掲載)
密教の極意

密教の極意とは、次元を変える事である。
三次元に肉体を持ちながら、心は四次元に到達する事である。


肉親に対しての愛着、物に対しての執着、
一切の愛憎の元は、己の次元による処である。

諸法空なるを悟る時、在ると思うは妄想にして、
無なるを在ると妄想するが故に、愛憎離苦の迷いを起こして
只いたずらに苦しむものである。

なに故に只、現世で血のつながりをもつのみにて、
愛着、妄執のるつぼに入るや。
肉体とは、只一瞬の間の幻にすぎず。

夢、幻を追求めて嘆き苦しむ妄執とは、
目に見えざる心の狂いなり。
この狂える心が、次元の低き証なり。

低き次元の迷いより目覚めてみれば、
何たる愚かさと自らをあざ笑いいたすであろう。

大体、肉親と申す偏見が、己を迷わすものなり。
縁とは全て一体なるをもって悟り得る処なり。

即ち、次元等しきが故に身近なり。
次元異なるが故に遠きなり。

血のつながりを肉親などと申して、身近に在らざればならぬ者と、
思う次元が骨肉の醜をかもし出すなり。

その点、人間は最も醜く、又我執の苦に自ら縛られ在る
次元低き者なり。

執着が一切の苦の元なるを悟る時、人は執着を離し切る修行にこそ、
怨念を超えたる次元に到達なし得る処なりと、
密教の法を授かりたるなり。

授かり得たるは、もはやその次元に到達成り得る時機到来致したればこそなりと、
自ら悟りて、自ら去りゆく怨念の世界こそ、即ち四次元なり。

苦しみとは、即ち次元低き己れの妄想なり。
この妄想たるを悟り得れば、一切の苦と申す愚かな現象はなし。

離るる者、即ち次元異なるが故なり。
近き者こそ、即ち次元等しき者なり。

人それぞれの魂の在り方にこそ、苦楽ありと分りてみれば、
愚かなりし三次元の苦しみ、もがき、笑止ならずや。

生も死も意に介せざる境地にこそ、安穏あり。

 合掌


法話集

TOP