平成19年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H19.1/1掲載)
真の正法行者

正法とは身を正して、心の悟りを現してゆく事であります。

されば一々に理を説き聞かされて心に頷き、
我が身を以て表に実行して初めて正法が身に体得出来得たと
申す事でありまして、どんなに立派な教えでも耳に聞いてただ頭で頷き、
聞き流してはさながら笊に水を入れる様なもので、

どんなに沢山説法を聞いた所で自分自身の悟りとはならず、
従って成仏出来得る筈はないのでありまして、

人間がこの世で本当に人間らしく生きてゆくと申す事は、
昨日よりは今日、今日よりは明日、去年よりは今年、今年よりは来年と、
日々、年々に心の成長、魂の真実を求めて努力精進してゆく事でありまして、

他人への思いやりも無く、人の迷惑も考えず、
まして神仏の存在すら認め様ともしない心では人間とは
申されないのであります。

人間の姿形を以て現世に生れ出て来た事には
深い深い意義があるのでありまして、その真の意義を悟り、
真実の生き方をする為にこそ人の命は尊くも、また得難いものでありまして、

その深い深い意義も知らず、また知ろうともしない身勝手な気儘な人生には
それなりの御叱りとして色々の悪因縁を出され、
「悟れよ!悟れよ!」と裏から示されるのでありますが、
ようように許されて救われる機縁の結ばれる事が即ち信仰への導きであります。

素直に頷き、導かれるままに御仏の御慈悲にすがり奉る心を与えられた事は
一大果報と深く感謝して、身を以て体得出来得る様な
従順な心で努力精進してゆく処に真に人間としての価値が生れて来るのでありまして、

磨かれるに従って人々から敬われ、慕われ、力と頼まれる人徳が
備わって来るのでありまして、これが本当の修行を申すもので、

自分勝手にいくら一生懸命に修行しているつもりでも、
誰からも尊敬されず、好感をももたれず、自分もまた真に人の身を思う心に
なれない様では、これは空修行と申して、

丁度二十日ネズミが一生懸命丸い輪のはしごを昇っている様なもので、
少しも上には昇れず一歩も前進はないのであります。

現世に信仰しているつもりでも、少しも自分の心の向上を計る事の出来ない
人々がどんなに多い事でしょう。

何故なればその人々は、神仏とはどのような御方であるかを知らず、
また信仰とはその神仏に近付く為に自分の心を磨くものであるとも知らず、
ただ一生懸命なのは現世功徳にあやかろうとする、さもしい欲の為にのみ
必死で努力する姿こそ、二十日ネズミの命がけで丸いはしごを昇る姿と
等しいものでありまして、


力つきて遂にこの世を終わる時には、その実相として哀れな終末を
迎えなければならないとは誠に悲しい事であります。

折角努力するなれば、してし甲斐ある努力にこそ信仰の価値はあるのでありまして、
静かに深く、只今の自分の姿を反省し間違った空修行に終わらない
修行にこそ力の限りを尽くして、人間としての尊さを発揮致さねば、
人生の真の意義は無いのだとしかと悟って頂きたいと思います。

これが真の正法行者と申すものであります。

 合掌


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