平成18年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H18.6/1掲載)
無我即真我

人間界に於けるあらゆる罪の落とし穴は、
人情である。

人、己が感情のままに、事を為すが故に法則を外し、
情に溺るるが故に道を誤りて、尚省みる暇もなく、
次第次第に己れの在り方不明となりて、
神仏への義、知らざる者となり下がるなり。

宇宙充満の霊波万物に在りて、次元千差万別なるを知らず、
己が我欲のままに神を作りて、勝手に拝む心の次元こそ、
千差万別の霊波の下級なる霊の波動に、
同調なすを知らざるが故、高級霊と身勝手に思いて、
拝む低級霊に操られては、もはや真面なる分別もつかず、

いかにも低級なる霊の操るままを我信仰なす故に、
正しく守らるるなどと思い上がりて、素直なる柔軟の心失いたる故に、
低級霊に己が魂しかと握られて、離れざる状態こそ
人、人たらざる有り様となりて人の道を外し、遂に畜生道に堕ちるも
露、気付かざるは、これ最も恥ずべき信仰の履き違えなり。

人、人たるの道を外して、絶対に神仏に通じる筈なし。
この人たるの道を外す元が人情なり。
無くてかなわず溺れては外道なり。
信仰とは、人、人たるの信義を重んじて、始めて正さるるものなり。

全ての災いは、自然(神仏)を離れし、心の有り様なり。

深呼吸に、深く深く大自然に溶け込みて、
我と自然と一体となる時、神も仏も我も亦一体なり。
大自然のままなる我、そこには何の災いも無し。

神そのもの、仏そのもの、即ち真我、即神なるを感受なし得れば、
自他一体にして、自我なる我はもはや無し。

大宇宙と融和なし、大自然のままなる我に何の障りも無し。
無我即真我なり。

病を得て、個たる我の無力を悟り得て、
大自然に融和なす己れを悟り得れば、病即救いなり。

常に大自然に威力(神仏)に守られて、遂に災い転じて福となす所以なり。


 合掌


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