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人間界に於けるあらゆる罪の落とし穴は、
人情である。
人、己が感情のままに、事を為すが故に法則を外し、
情に溺るるが故に道を誤りて、尚省みる暇もなく、
次第次第に己れの在り方不明となりて、
神仏への義、知らざる者となり下がるなり。
宇宙充満の霊波万物に在りて、次元千差万別なるを知らず、
己が我欲のままに神を作りて、勝手に拝む心の次元こそ、
千差万別の霊波の下級なる霊の波動に、
同調なすを知らざるが故、高級霊と身勝手に思いて、
拝む低級霊に操られては、もはや真面なる分別もつかず、
いかにも低級なる霊の操るままを我信仰なす故に、
正しく守らるるなどと思い上がりて、素直なる柔軟の心失いたる故に、
低級霊に己が魂しかと握られて、離れざる状態こそ
人、人たらざる有り様となりて人の道を外し、遂に畜生道に堕ちるも
露、気付かざるは、これ最も恥ずべき信仰の履き違えなり。
人、人たるの道を外して、絶対に神仏に通じる筈なし。
この人たるの道を外す元が人情なり。
無くてかなわず溺れては外道なり。
信仰とは、人、人たるの信義を重んじて、始めて正さるるものなり。
全ての災いは、自然(神仏)を離れし、心の有り様なり。
深呼吸に、深く深く大自然に溶け込みて、
我と自然と一体となる時、神も仏も我も亦一体なり。
大自然のままなる我、そこには何の災いも無し。
神そのもの、仏そのもの、即ち真我、即神なるを感受なし得れば、
自他一体にして、自我なる我はもはや無し。
大宇宙と融和なし、大自然のままなる我に何の障りも無し。
無我即真我なり。
病を得て、個たる我の無力を悟り得て、
大自然に融和なす己れを悟り得れば、病即救いなり。
常に大自然に威力(神仏)に守られて、遂に災い転じて福となす所以なり。
合掌 |


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