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仏の修行とは、人を救う事である。
人を救う道は、先ず第一に人に好かれる事である。
人に好かれる為には、先ず自分から人に近づき、
人の輪の中に身を投ずる事である。
嫌いな人故、遠ざかる我儘は仏の道には許されない事である。
人を好き嫌いする事は、まだまだ自分が出来ていない証拠である。
嫌いな人程近づいて、先ず好きになる修行こそ、
自分を磨く事である。
人、皆、それぞれの個性を持って、己が意のままに
生きんとするものである故に、和を欠くものである。
それらの者を一つの和にまとめてゆく努力が、
自分を丸く磨く修行である故、自分の意のままにならぬと、
人を好き嫌いする心は、到底仏には成れず。
仏道からは、遥かに遠きものであると悟らねば、
仏弟子たる僧の価値はなく、衣を汚すものである。
故に仏道とは、地獄、餓鬼道の者を一人一人近づいて導き、
助け、邪道を悟らしめゆく事である。
それが、自分をも邪道から正道に目覚めゆく、
唯一の道であると悟らるる時、人は初めて仏の尊さを
身得なし得るのである。
仏道とは、全ての者をして喜ばしめ、
己が非を悟らしめゆく道である。
真心とは、一人一人を好き嫌いなく自分と同じく、
幸せになる様に計らう事である。
仏弟子とは、先ず己れを捨てて、人の身を思う心を養いゆく事である。
故に在家にありてこそ、真の修行の出来得るわけである。
尊く得難き仏縁を真に生かせて、何人からも好かれ、
親しまれ、慕われてこその価値あると、
真に悟り得てこその仏弟子である。
合掌 |


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