平成18年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H18.3/1掲載)
真実の我

自分の心の十重、二十重に縛られて、
どうにもならない不自由な世界がこの
人間社会なのです。

深く考えてみますと、正しき言に素直にうなずき
従う事の出来ない自分をもどかしく思う時、
又悪の誘いに悪いと知りながらついつい引かれてゆく自分に気付く時、
しなければならないと自分自身に言聞かせても言聞かせても
中々に戒める事の出来ないただ怠け者の自分を見出した時、

他人の言動に善悪の見極めもつかない自分の愚かさ、
又他人の幸せを密かに妬む心を卑しいとも思わない
自分の次元の低さ、

人のものでも欲しくてたまらない心を押さえる事の出来ない
衝動にかられる時、他人の不幸を哀れとも感じない薄情な
自分に気付く時など、

自分の力ではどうし様もない弱い自分をしみじみと
情けなく悲しむ心が起きた時、
人はようように人間らしく目覚めてゆくのであります。

悪に対して何の分別もなく、善に対して何の感動も起こらない心とは、
良心が眠っている状態でありまして、
それは現世に生きていても生きている甲斐もなく、
あの世に逝っても成仏出来ない虫けらの様な状態であります。

折角人間界に人として生かされた最高の功徳とは、
良心の目覚めであります。

この目覚めとは、自分だけの力ではどうにもならない因縁の
強い力で縛られている固い絆をほどく事でありまして、
この固い絆こそ自分の自由を束縛している過去の自分自心が蒔いた
種でありまして、我身が作って我身の乗りゆく地獄の火の車とも
申すべき不幸へと運びゆく乗物となっているのであります。

人は往々にして、ただ我が肉体だけの快楽を幸せと感じ、
人の心を踏み躙り、人の不幸を顧みない自分の浅ましさを
露程も考えない畜生の様な心となるものであります。

それは肉体だけが自分であって、その肉体を操っているのが
心の作用であると気が付かないからであります。

心とは目に見えず、手にも触れる事の出来ない形のない作用とも
申すべきものでありまして、この心こそ最大の自分自身を動かす
力なのであります。

それ故に、元々仏の御子である純真無垢の自分が、
何でこの様に悪に対して何の反応も起こらず、
善に対して無関心であるのだろうかとつくづく深く考え見ます時、

これは自分自心でなく、因縁と言う悪魔が自分の無垢の心に忍び寄り、
自分を虜としてしまって悪をなさしめているのだと言う事に
気付かせて下さるのが、常に見守って、導いて下さいます
守護神の御力なのであります。

これが目覚めと申す事です。

知らず知らずに悪に誘われ、良心の深き眠りから今ようように
目覚める事の出来た喜びが、仏にすがる心なのであります。

神も仏も知らずして、悪を悪とも思わぬような良心無き自分が
今ようように仏の慈悲に目覚め得た事の歓びとは、
これから一生懸命努力して間違いなき人生の軌道を見詰め、
どんなに苦しくとも縛られた因縁の絆を必死にほどいて
ゆかねばならないと決心した時、

陰からの御仏の大きな御力が加えられて、知らず知らずの間に
十重二十重に自分を縛りつけていた因縁の固い絆もほどかれて、
自由自在の心となる事が出来るのであります。

これが本当の極楽でありまして、元の仏の御子たる
自分を取り戻す事が出来たのであります。

これを成仏と申します。

人が現世に生まれた真の意義とは、この因縁の深きいわれを悟り、
その固い絆をほどく為でありまして、又しても悪い因縁に
誘われるまま悪を重ねて地獄に落ちてゆく様な愚か者となっては、
折角人間の姿を御恵み下さいました尊い仏の大恩に
そむく事となるのであります。

心尽くして、今日からの自分の生き方を真実一筋に修正して
ゆかねばなりません。


 合掌


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