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人間と畜生との相違を申し聞かすべし。
それぞれ人間も畜生も等しく生まれ乍らに持ち来たりし本能とは、
食欲と性欲となり。
畜生は、只欲望のみを追い求めて食をあさり、
相手かまわず性欲を満たさんとなすものにあり。
されば人間にして、この本能のままに振る舞えば
畜生と何ら変わることなし。
人面野獣と申すものなり。
ここに人間とは、絶対に畜生に堕してはならぬけじめといたして道徳あり。
この道徳を崇高に高め極むる処に宗教あり。
人、遂に神や仏に還える道なり。
神仏に導かれ守られて、高き理想に己が魂の向上を求むる処に、
我欲を抑えて本能のままに犯さんとなす卑しさ、浅ましさを悟り得て、
人徳を磨きゆく人生にありてこそ、人間らしき生きざまと申すなり。
さればこそ、神の座に向かうべき人間界に生まれ出でて、
又しても浅ましき本能に打ち負かされて畜生に落ちゆく様、
いと哀れにも愚かなる者なり。
食欲のままに食すれば、食あたりなして腹を下し、
又糖尿などの病に犯され、遂に身の破滅を来すなり。
等しく獣の如く性欲に欲しいままなる振る舞いは、
我が身の恥を子孫に残し生まれ出づる子に獣の魂を宿らせて、
親の因果、子に報わるること必然なるは、天地の理法なり。
この理をよくよく悟りて見れば、人間とは本能を浄化なす為己れを制し、
節度をわきまえ、かりそめにも他人に知られて恥かしからざる振舞いをこそ、
心がくべきものにありて、尚その上に信仰に志すとは、神仏の御前に照らしみて、
心恥ざる己れを作りゆくことにあり。
ここに初めて成仏の道開けゆくものにあり。
されば、人を人とも思わず恥を知らざる己れとは、
全く畜生に等しき者にして、人の顔したる獣なりと反省いたし、
信仰とは程遠きことなりと悟らねば、この恥多き人生を子孫の因果と遺しゆく罪、
末代までも消えざるものと悟るべきなり。
合掌 |


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