平成18年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H18.10/1掲載)
全ての本質

人間界の次元の低さは、先ず言葉で表現しなければ
相手の意思が分らぬ事である。

したがって国や人種の違いによって、
それぞれの別々の言葉を以て互いの意思を現さなければ、
相手の心が分らぬとは、何と不便な事であろうか。

それは心を無視した形ばかりに頼っているからである。

全ての物の本質は霊であると悟った時、
霊には言葉を必要としない、高度な真実のある事を悟り、
何らの表現なくして互いに相手の意思は通じ合うものである。

従っていろいろ種々雑多の語学を学ばなければ、
人間同士意思の通じ合う事のない不便な世界故、
言葉の先で嘘偽りを云われても、嘘とも偽りと見抜けぬ程
人間は愚かな者である。

まして、他の動物や植物などと交流して、
意思の疎通を計ることなど到底為し得ざる、愚かな不便な社会となしたるは、
人間自らの次元の低さ故である真に、
全ての物の本質は霊であると悟り得て、

その霊をこそ高度に高めいく修行こそ、
物質界の真の意義であると悟り得る道が即ち信仰である。

信仰とは己が霊魂を純粋に磨き高めて全ての現象を超越し、
無に成り得たる時、即ち空とは一切あらゆるものの本質に
直接通じ合う処であると分ってみると、
形を以て表現なす必要はなく、姿形によりて表現なす次元を
はるかに超えた真実に到達為し得るものである。

従って生も必要なく、死も亦何らの変化なるものには非ざるを悟り得て、
死生とは心の迷いに過ぎざるを分ってみれば、
さしたる事もなき現象に一喜一憂なす愚かさも悟り得るなり。

形を以て表現なす世界に在りて形にのみ囚わるるが故に、
愛着、煩悩の虜となりて果ては己れ自身をも見失い、
大罪を犯す凡夫の愚かさいとも笑止なり。

姿、形、言葉等、五感を以てのみ通じ得る世界を唯一のものと思うが故に、
五感を超越なしあたわざるはいかにも愚かなり。

全ては五感を超越なしたる処にこそ、真実の在りて
真実を悟り得ざるが故に五感に惑い、
五感を唯一の頼みとなすが故に、学問を必要と成し
学問に頼りて学問に長ずれば、人並以上と思う社会を作りたるものなり。

真の偉大とは、人間社会に非ず。

人間社会否、物質社会を超越為したる処にこそありと信じ得れば、
万物全て共通の霊なり。

一切の万物と通じ合い意思を分かり合えば、何の学問も必要なく、
全てのものの本質と直接交流なす故に、
相手の意思が即座に分り、木も草も花も動物も全て悟り合い、
分かち合い、それぞれの持つ特質を抵抗なく発揮いたし得て、
宇宙、虚空共に平和安穏なる存在と為し得るものなり。


 合掌


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