平成17年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H17.7/1掲載)
大愛養心

他人の魂の目覚めの為に、真剣に祈り働く時、
人は始めて自分の魂の目覚めを悟り得る事が出来るのである。

自分の悪を悟りて改悔いたさぬ限り、
人には真の幸は開かれぬのである。

さればこそ自分の幸を願うなれば、
先づ他人の幸の為に祈り、導きの真実を尽くす事こそ、
自分の幸の扉を開く事である。

他人の不幸を見て、その根本は本人の心の歪みであると、
見抜き得る智慧こそ、己れの不幸の元を悟り得る佛智見なり。

何故かく心乱れて、禅定を悟り得ざるやと反省なす時、
先づ人の為に尽くすべし。

他人の為に、まして他人の魂の目覚めの為に、
真剣に心尽くして惜しまざる心こそ、
己れの佛心を呼び覚ます根本なり。

心尽くすとは、その人の為に、何物をも惜しまざる事なり。

己れを捨てて尽くし切る処に、己れを清浄となす
大いなる功徳現るるを、始めて悟り得るなり。

財宝は勿論、一切の物質を惜しみなく、
他人の為に捧げ得る心となりたる時、

人は宇宙の真理を身得なし得らるるなり。

即ち、無一物即無尽蔵なる現実の現るる所以なり。

己れ己れと己れの我欲のみに固まりては、
身も心も細りて次第次第に身に付きたる財も失われゆくものなり。

貧とは、心の貧しきが故の現実なり。
諸法実相とは、現世一切の物質界に現るる現実こそ、
己が心の真実なりと申す事なり。

心磨きて、魂の清浄を計る事こそ、愛を養う第一なり。
愛なくしては、他人の為に尽くして、
惜しまざる事の何たるをかは悟り得ざるなり。

愛こそは、大清浄の根本なり。

観世音大菩薩をお手本となす、
修行者といたしての根本の修行とはこれなり。

人は真の愛に満たされて始めて、一切の心の曇り明かに晴れて、

何の憂いも煩いも無き、大清浄の身となり得るものなり。

これ即ち仏なればなり。


 合掌

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