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精進とは生き物を食さざる事のみには非ず。
戒律を守る事、これ即ち精進なり。
戒律とは尼僧にして五百戒あり。
まして僧侶となりては二千の戒律あるものを、
俗人にて真似いたさん事容易のわざにはあらず。
されど優婆塞、優婆夷とならん決定いたしたるもの、
その真似事にてもなさざれば優婆塞、優婆夷とは申されぬなり。
生き物を食さざるを以っていかにも修行いたすが如く
思い違いいたす事、笑止のさたなり。
口は一番汚きものなり。
舌根の悪の根、絶たんといたして、先ず殺生をなさぬ事を
口の精進と申すなり。
その殺生戒めんとて他の殺生いたさば何の役にも立たず。
一、時を貪る事、即ち徒らに快楽を求め修行を怠らば、
これ時間の殺生なり。
二、物を粗末になし、無駄に使い捨てなす事、これ又殺生なり。
例えば、水道の水を欲しいままに流しておしまざる等は、
水への殺生なり。
三、親に対し、師に対し、他人に対しての悪行を反省なさず、
又なさんともいたさざる事、これ又最も殺生なり。
か様に数えてみれば殺生とはただ単に、
ものを殺すと申す事のみには非ざる事、よくよく分別いたさるるべし。
さらば精進いたし生き物を断てばとて、
虫けら一匹に対する慈悲なくんば精進にはならず。
まして他のもの全てに於いて、粗末にいたす心を捨てて
天地一切のものに対しての感謝を悟り、
有難き恵みなりとおし頂きて食するなれば、
己が血肉となりて食されし生物も己と共に修行なし成仏の道たどりゆかば、
むしろ成仏の近道となりて喜ばしむる事ともなり得る道理なり。
それ故に精進にこだわりて、人の菩提心を受けざるは
むしろ破戒となるものにありて、精進とは心のあり方一つなりと悟るべし。
生き物を断ちて他のものを殺すが如き破戒の罪を犯しては、
むしろ精進の言にとらわれての悪修行ともなるものにありと心得るべし。
生き物を断ち、水をかぶるなどをして己が身をいたむるは、
常に神仏への渇仰の心、忘れざる為の己れ自身への戒めの為にありて、
これを以って精進などと思うは増上慢なり。
合掌 |


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