平成16年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H16.9/1掲載)
義第一

人に上下の差別無し。
有るは唯、心の在り方のみなり。

其はただ、節度と礼儀あるのみにして、
神仏より眺め見る時、己れを知らず、
節度も礼儀も弁えざる者こそ、最も低きものなり。

地位も名誉も財産も、人の価値には非ず。
ただ天より与えられたる、特有の役目にのみありて、
其の人間の価値にあらざる事を悟り得ざるが故に、
心奢りて、我、人の上位に在りなどど、思い違い致すなり。

その思い違いが、身を滅ぼす元なりと悟らざるが故に、
様々なる悲劇引き起こすなり。

人の価値とは、その魂の中にこそ有りて、
自然に表に現るる姿形は、まず、身を慎みて、
礼節を弁える処にこそあり。

神仏の遥かに高き次元より、
常に見下らされている我らなりと、
露知らざるが故の増上慢なり。

神仏より眺め見る時、これ程の見苦しき姿は有らず。
増上慢と申す魔は、高く高く持ち上げて、
奈落の底に突き落とすなり。

突き落とされて、立ち上がらざれば、
無限の地獄なり。

まず、己れ、今日あるは、我の力に有らざるをしかと悟りて、
日々をただ「御心のままに、生かせ給え」と、
祈り奉る処の謙虚さこそ、神に愛でられ、
仏に守らるる、第一の功徳なり。

信仰の価値とは、ここにこそあり。

人間とは、神の鎖に繋がれた生き物である。
手綱を握る神の命のままに、従順に従えば、
やがて神の御心のままに生き、神と一体となる時、
鎖は有りて無きが如く、自由自在にして、
何の抵抗も無きものとなるなり。

悠久の大儀に生きて、無限の命、自由自在なり。

一切の災い無く、唯々広大無辺なる愛の輝きに包まれて、
身は寂光の光なり。

生無く死無く、心に係る曇り無し。

 合掌
 

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