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価値と量とは違うなり。
最高の価値は空なり。
一切万有の中に無あり。
多少にても量を計り得る限り、真の価値は存在致さざるなり。
個たる己れ、如何に価値ありげに見ゆるとも、
宇宙万有の中にこそ在りての己れとは異なりて、
固有の中に無はあらず。
無は万物に在りて、万物の中にこそ真の価値ありて、
即ち神そのものなり。
されば個たる我、神仏を顕現なさんが為には、
只無に帰してこそ成せるわざなり。
私財を思い、肉親を思い、生老病死につきまとわるる我とは、
即ち空に帰すあたわざる煩悩具縛の亡者なり。
即ち人間界の下界と申すゆえんなり。
財なく、肉親縁者なく、私物と申すもの一切より解脱なし、
遂に我が肉体在るも無きも意に介せざる境地となりて、
ようよう下界より上昇致しゆくなり。
肉体の重く、苦しく縛られて自由ならざるは、
個たる己れにしがみつき一切万有の真理に目覚め得ざるが故なり。
苦とは即ちこれなり。
肉体は私物に非ず。
只方便の器にありて、滅、不滅自由自在と観ずれば、
即ち生死とはあらざるを有りと思いし迷いなり。
愛しき者とは、何ぞや。
即ち個たる己れの煩悩が夢見し如き盲執の幻に過ぎず。
真の愛とは自他差別なき一切万有の目覚めに中にこそありて、
己れをも他人をも縛るものには非ず。
常に己れの如く他を思う心、彼此と差別なき博愛の心にこそありて
愛は尊く、万有を生かし給わるものにして、神そのものにあり。
生ありて生を思わず。
死ありげに見ゆるも、迷いなりと目覚めて見れば、
生・死何ぞ問うべき、いわんや死を思う愚かしさをや。
我、万有の中に生かされて我意と申すもの無く、
神仏の御意のまま、法器となり得るを成仏と申すなり。
その過程をば、信仰修行と申すなり。
現世肉体及びそれにまつわる一切の現象こそ、
すべてこれ過去因縁によりて、神仏仮りに現し給いて、
無量の業より解脱なさしめやらんとの大慈大悲の御手配にして、
本然と目覚めて見れば、過去も現世も元々あるべきに非ずして、
只、今一瞬をこそ無限の命と生ききる真にこそ、
我神と共に在りて、これ真の価値なりと悟り得るなり。
合掌 |


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