平成16年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H16.5/1掲載)
我の価値

価値と量とは違うなり。
最高の価値は空なり。
一切万有の中に無あり。

多少にても量を計り得る限り、真の価値は存在致さざるなり。
個たる己れ、如何に価値ありげに見ゆるとも、
宇宙万有の中にこそ在りての己れとは異なりて、
固有の中に無はあらず。

無は万物に在りて、万物の中にこそ真の価値ありて、
即ち神そのものなり。

されば個たる我、神仏を顕現なさんが為には、
只無に帰してこそ成せるわざなり。

私財を思い、肉親を思い、生老病死につきまとわるる我とは、
即ち空に帰すあたわざる煩悩具縛の亡者なり。
即ち人間界の下界と申すゆえんなり。

財なく、肉親縁者なく、私物と申すもの一切より解脱なし、
遂に我が肉体在るも無きも意に介せざる境地となりて、
ようよう下界より上昇致しゆくなり。

肉体の重く、苦しく縛られて自由ならざるは、
個たる己れにしがみつき一切万有の真理に目覚め得ざるが故なり。
苦とは即ちこれなり。

肉体は私物に非ず。
只方便の器にありて、滅、不滅自由自在と観ずれば、
即ち生死とはあらざるを有りと思いし迷いなり。

愛しき者とは、何ぞや。
即ち個たる己れの煩悩が夢見し如き盲執の幻に過ぎず。

真の愛とは自他差別なき一切万有の目覚めに中にこそありて、
己れをも他人をも縛るものには非ず。

常に己れの如く他を思う心、彼此と差別なき博愛の心にこそありて
愛は尊く、万有を生かし給わるものにして、神そのものにあり。

生ありて生を思わず。
死ありげに見ゆるも、迷いなりと目覚めて見れば、
生・死何ぞ問うべき、いわんや死を思う愚かしさをや。

我、万有の中に生かされて我意と申すもの無く、
神仏の御意のまま、法器となり得るを成仏と申すなり。
その過程をば、信仰修行と申すなり。

現世肉体及びそれにまつわる一切の現象こそ、
すべてこれ過去因縁によりて、神仏仮りに現し給いて、
無量の業より解脱なさしめやらんとの大慈大悲の御手配にして、
本然と目覚めて見れば、過去も現世も元々あるべきに非ずして、

只、今一瞬をこそ無限の命と生ききる真にこそ、
我神と共に在りて、これ真の価値なりと悟り得るなり。


 合掌
 

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