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師弟の情は、血縁を似てして尚及びがたき固き絆なり。
義は君臣にして情は父子なり。
絆は法にして、未来永劫断つ事あたわざる絶対の縁なり。
ここに結ばれて、人は初めて成仏の序に着きたるものなり。
天地の法則、かたく守りて己れをいましめ、人をとがめず、
只神仏と常に共なる己れを見出し、
悪を思わず、悪を言わず、悪を感じざる己れを堅持なし、
一切の悪に染まずして、過去消滅の次元に到達成し得るを
成仏と申すなり。
悪世に在りて人身以て生くる事、
容易ならざる成仏の道なれども、悪世なればこそ、
蓮華の汚泥に染まざる修行成し得る処なり。
悪世に在りて悪に染まざるは、
蓮華の汚泥の染まずと申すことなり。
殊に人身以て尚、物欲にとらわれざるは容易の事にあらざれども、
足るを知る心となれば、何程の事もなし。
何事にもあれ、天地万物一切は只、
神仏に生かされてありと達観いたさば、
与えらるるに満足なし感謝なす心とならば、
自ずから必要なれば整わしめらるるものなり。
肉体ぬぎての真の我にもどりなば、最早物質何の価値もなし。
未来永劫の宝とは、唯一真実の己れのみなり。
真我に目覚めてみれば、物欲の迷いなどいと笑止の極みなり。
物質とは、己が観念の現象に過ぎざればなり。
真実一路の己れにあれば、必要と観ずれば、
こつ然と現るる物質現象なる事当然なり。
欲にとらわれざる無私の心には、
いつ何時たりとも必要なれば、現象いたすが真理なり。
されば物欲とは、いと重苦しきわずらいに過ぎず、
持ちて甲斐なき空しさは死の瞬間に思い知るなり。
悪世とは衆生己が業故に、この大業火に身を焼かるる物欲の修羅場なり。
すみやかに目覚めて見れば、坐して半畳寝て一畳の我家なり。
大欲あらばとて、身にまとい得ざるを、
持ちて欲の重みにたえ得ざる愚かさこそ、むなしき生の妄執なり。
身も心もかるがると、無一物即無尽蔵なる真理に
到達いたすべし。
合掌 |


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