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人は皆、己れ偉しと思うものなり。
それぞれにそれぞれの次元を知らず、知らざるが故に
上は見えずして、只下をのみ見下して、
あれこれと批判なすを常となすなり。
されば、己れの非を暴かるれば、かえって相手を憎み、恨み、
またしても罪を重ねゆく愚を悟り得ざるが故に、
因縁の上に、尚重ねゆく因縁の重みに耐えかねて、
ついに倒れゆくなり。
これ、悲運と申すなり。
悲運とは、己れ招きし悪業なりとは、
悟り得ざる無知蒙昧が愚痴となり、人に疎まれ、
自らも地獄をつくりゆく様、目覚めてみればいと笑止なり。
この地獄より抜け出だして、上昇無礙と成さんが為にこそ
仏道はあるなり。
されば仏道とは、深く因縁を悟る智慧を求め、
その修行に拠りて一実の道を与えられ、
自らの精進に拠りてこの一実の道こそ、己れを悪より解脱なし、
成仏道へと上昇成しゆく道、即ち至上の幸福とは、
唯一無になる仏道のみなりと悟らしめらるる処に、
人間凡夫、凡夫にあらざる智慧と力を授かり得るものにあり。
さればこそ、まさにこれ、仏おわしましての最高の功徳
授け賜るものなりと歓喜して、はじめて人間凡夫の浅智慧とは、
なんたる愚かさぞと、過去の己の笑止さを笑いて
消滅成し得るものなり。
観音妙智の大神力に包まれて、限り無き無上の智慧と、
大慈悲心をこそ頂き得る宝の山に入りながら、
一物をも我がものと成し得ざる愚かな己れとなりくるるなよ。
合掌 |


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