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智慧と申すは、ひらめきに教養をつけたるものなり。
如何に偉大なる智恵者なりとも、
教養と申す衣にて包まざれば、そは仏智とは申さぬなり。
只徒らに智者となりて、
我欲のままにそれを使わんとなさば悪魔なり。
悪魔とは、悪智恵にたけて人を思わず、
我欲のままに、欲しいままを為すが故に、
神仏に嫌われ、遠く離さるるが故に尚更に、
世の中の害虫の如く、善を食い荒らしゆくものなり。
されば、教養とは善智識なり。
仏智見とは、この善智識を以って、大乗の為に働くが故に、
世の為人の為となりて、己れ次第に上昇なすものにあり。
如何に智識あり教養ありて、
己れ一人の身のそなえと成す時は、
仏智見とはならず。
従って、高き次元に上昇なす事は出来得ざるなり。
従って、大乗の見智に見定め得て、仏と上昇なす為にこそ
人間界に交わりて、一人一人を正し、導く為にこそ、
使うべき智慧であり教養でありて、始めて、
仏の智慧はさずかり得るなり。
成仏の道とは、広く大きく愛を育てて、
世の為人の為にと努むるが故に、開かるる道なり。
合掌 |


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