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深き思念は高き理想に目覚めゆくなり。
内を見つめて静かに端座なすは、
外に遊びてもろもろの雑念の垢にまみゆるより、
はるかに有意義なる人生にあり。
人は終日五感のまどいに犯されて、
自ら省り見るいとまなき暮らしの中に輪廻して、
幾十度、幾百、千度の汚濁に満ちたる己れなるやも知らずして、
勿体なや神に帰すべきを、又しても地獄に落ちゆく因果の果てこそあわれとも、
愚かとも云はん方なき無念なり。
悪世末法の世とは、人、己れを省り見る事無く、
只我盲執の鬼と化したる世界の事なり。
御仏珠玉とも思し召さるる浄土をば濁土と化したる罪悪の、
如何に重きやを思はば、一分一秒たりともおろそかには成し得ざる人生なり。
身をけずり命尽くして浄めばやとこそ、
決定ありて人間とは申さるるなり。
さればこそ深き瞑想に魂鎮めて己が現在在るべき姿、
如何になすべきやを自ら省みて只神仏に生かされてこそ、
在るべき我なりと悟り得て御心のままになし給えとこそ必死に祈りて、
神仏の使徒たるべきを自覚なす時、
我がものと思いし人生、何一つとして我物にあらざりしを悟らるるべし。
かくてこそ自戒、自浄は始まるものなり。
これより始めて己れ帰すべき仏国浄土への道開けゆくなり。
仏道はるかなれども、我の力に非らざる力、
自ら湧き出でて十人力、百人力、千人力の加わるをおぼゆべし。
これぞ神力、仏力にありて我、神仏に生かされてあり、
我神力の具現なり、と悟り得る時、無限能力の存在しかとたしかめ得らるるものにありて、
現世、即ち浄土なりと達感なし得るものなり。
かくしてこそ人、神と成るを悟らるるべし。
広大無限なる大宇宙に生かされてあるもの、
何一つとして神に在らざるものなし。
神それを作らんと思し召されたるが故にこそ姿、形と現ぜしものなればなり。
神即空なり、故にこそ我即空なり。
大宇宙、神の御懐に還元なして即ち我神なりと達感なし得たる時、
即ち一切は空にして我と申す固は無なり。
あくせくと我が、我がと我執に囚われて垢にまみれし微微たる己れの、
何とあわれにも、はかなき存在なりし事かや、
笑止なり、笑止なり。
合掌 |


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