平成15年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H15.4/1掲載)
無我大欲

自分が修行して
自分が人の為に役立つ様になり
自分が御神仏の御手足となり
自分が光輝く様になり
自分が神や仏となり
自分が無我となり
自分が空となり

等々、皆我に囚われている間は真の修行ではない。

我(われ)と申す我(が)はない。
初めから空の中、神の中の我であり、
個たる我はないのである。

それ故に我、我と思う間はまだ空の中、神の中に在る
我を自覚していないから、神から離れた我と云う別者を自ら作って、
自らその中に閉篭っている故、
神とは己が内奥にあるを悟り得ざるものなり。

さればこそ真実の自分は神そのものであり、
この肉体は、神に使わるる人形に過ぎないものである。

故、少しでも汚して悪魔に使われる様な事をしては、
人間としての価値はなく、神に対しての大罪となる訳である。

つまり人の肉体はあやつり人形であって、
常に神仏にあやつられるままに動かなければならない。

神の作り給うた神のものであって、絶対に他の何者のものでもない故、
悪魔や畜霊にあやつられる事は、云い替えれば
神の宝を泥棒に盗まれた様なものである。

信仰の初歩は

一、己を磨こうと志して修行する事が、先ずこの泥棒の囚われから
逃れる初めであり。

二、人の為に役立とうとする事が、自分の本分を知る初めであり。

三、神仏の手足となりたいと思う様になるのは、ようよう自分の分の
何たるかを、おぼろに悟り初めた事であり。

四、神仏と成りたいと思う心が真我(しんが)の目覚め初めであり。

五、無我とならねばと修行してゆく事が、空を知る道に続き。

六、空即真なりと悟り得る時、初めて我は無く、諸法一切空にして、
我も亦空に在りと悟り得て、即ち即身成仏なり。

 合掌
 
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