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目の前に現れた我身を不幸にする相手は、
すべてこれ己れの業の現れなり。
己れ犯せし罪とがは忘れて、すでに知られざれども、
苦しめらるる相手こそ、姿形に現れし我身の業なりと、
深く悟りて仕え尽くしてこそ、懺悔となるものなり。
憎き相手を憎みては、又しても業を重ね重ねて、
益々深まりゆく己が罪障に、
我と我身を苦しむる地獄を自ら作りつつ、人は業火に身を焼かれ、
果てなき苦しみにもだえもだえて、
救われ様も無き地獄を作りゆくものにあり。
本然と目覚めて見れば、我を苦しむる相手こそ、
我身を救わんと現れし仏の使いなりと悟りて、
しかと腹を定めて只ひたすらに、懺悔の境地にて仕えゆく時、
必ず相手の心はほどけて、我に下座なす相手となるなり。
即ち、敵と思いし相手こそ、我を救って下されし仏となりて、
誰よりも強く頼もしき味方となりくるる事、
即ち因果の法則なり。
さればこの世に敵と申すもの、誰一人としてなし。
すべて眼前に現るるはこれ皆、仏の使いにして、
やがて己れを仏と成し下さるる大恩人なり。
合掌

人は霊魂の進化の為に肉体を与えられ、その肉体を通じて、
物質界の全てを以て魂の進歩向上を計らんが為に、
人生は有るものであり、肉体に溺れ物質に迷いて、
人は堕落の一歩をあやまるものである。
故に、生も死も亦、物質界の裏表にありて、
己が生命の真価を悟らしめらるるが故にこそ、生死の真の意義ありて、
生命とは肉体物質にあらずして、
霊魂の不滅なる所以を、悟らんが為の生死にあるを悟り得て、
輪廻転生の真意は生かさるるものにあり。
合掌 |


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