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壇上に昇れば真剣なり!
壇上は真剣の場なり!
真剣とは命がけの場なり!
神仏に向かい奉りて、命をかけて行じ奉る心にこそ
法は生かされ、己れ自身に現され、現実となって、
「法、即、証明」即ち顕教は法に依って事相を作り、
事相は行ずる者の心次第にて現実となって現し得る事なり。
此処に法則に坐す者の心がまえこそ、密教の心髄なり。
密教とは三味一体の行なり。
即ち口に真言を唱え、手に印を結び、心でそれを思えば、
現実となりて現るる事なり。
されば、常に心を無となす事に専念なし、
一切の悪を思わず、只ひたすらに佛を念じ、
信の一字に徹し切る事なり。
現世物質界に在りて、物質に溺るるが故に心を忘れ、
己れの真我を悟り得ざる愚者となり下がるなり。
凡夫は肉体を我欲の道具といたすが故に、
尊き宝を瓦れきと化すなり。
肉体とは佛より授かりたる無上の宝なり。
この宝、未来永劫の己が魂の至宝となしてこそ、
現世の生は尊く行かさるるなり。
即ち、身・口・意の三密は肉体ありてこそ成就いたさるるものにして、
形なき霊の世界にては成し得ざる行なり。
肉体とは、頭脳にて感得なし、知識といたして先ず己れをととのえ、
心の準備なし得たれば、身に行いて魂に刻み付けて
ようように真理を悟り得たる後、その真理を現実に現し得るが密教なり。
されば、真理を悟り得る迄の行が即ち顕教にして、
この顕教、現実に現し得る秘法が即ち密教なり。
肉体在りてこそ、顕密両道一如と成し得て、
始めて成仏の世界に入るものにあり。
合掌 |


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