平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.9/1掲載)
真の信仰とは

天ありて地あり。
即ち、天地の通ずる道とは、人、神となる道なり。
それは即ち、成仏の道なり。

遥かに遥かに遠くして行く先、はかり知られざる、遠き道なれども、
人間必ず歩まねばならぬ道なり。

何故なれば、地獄、餓鬼、畜生、修羅、娑婆、声聞、縁覚、菩薩、佛座、佛と
十界に分かれたる心の世界に、それぞれの生物ありて、
生存致すものなり。

そして、そのそれぞれの心の世界に各々、
自分自分の環境を作りて、生くるものなり。

されば心とは、目にも見えざれども、現実の世界に映して、
各々が本心の様、現わしある世界こそ、この娑婆そのものなり。

されば、幸を願う心にあれど、不幸の現実とは、何故なるべし。
己が心を深く深く熟慮なす時、自ずから、幸、不幸の源は、
皆自らの心の招きしものなるを悟りて、始めて目覚め得る処に、
真の佛道悟り得るものなり。



信仰とは一口に申せど、只、手を合わせて、
己が欲望の聞き届けられんをのみ祈る事は、佛道には非らず。

何故なれば、佛に通ずる道には、非らざるが故なり。
そは、只、単に己が欲望の量のみを求むるが故に、
相手かまわず、聞き届けらるれば在り難しと、
喜ぶ心に真実の道理の分かる筈はなし。

真実の心非らざれば、佛の道の分かる筈はなし。
佛とは、真実そのものにあればなり。
この分別の、明らかに悟り得ざるが故に、信仰の真実が悟られざるなり。

只、合掌すればとて、信仰とは申されず。
信仰とは、神仏に通ずる心を養う事なり。

先ず、第一に義を以て、己を戒むる事、
第二には、真の愛を持て、全ての命を愛しみ、育てゆく事なり。

この義、第一に重んずる心を以て、全てに愛を施す事こそ、
神仏に通じゆく道なり。
これを以て、真の信仰と申すなり。

 合掌

法話集

TOP