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天ありて地あり。
即ち、天地の通ずる道とは、人、神となる道なり。
それは即ち、成仏の道なり。
遥かに遥かに遠くして行く先、はかり知られざる、遠き道なれども、
人間必ず歩まねばならぬ道なり。
何故なれば、地獄、餓鬼、畜生、修羅、娑婆、声聞、縁覚、菩薩、佛座、佛と
十界に分かれたる心の世界に、それぞれの生物ありて、
生存致すものなり。
そして、そのそれぞれの心の世界に各々、
自分自分の環境を作りて、生くるものなり。
されば心とは、目にも見えざれども、現実の世界に映して、
各々が本心の様、現わしある世界こそ、この娑婆そのものなり。
されば、幸を願う心にあれど、不幸の現実とは、何故なるべし。
己が心を深く深く熟慮なす時、自ずから、幸、不幸の源は、
皆自らの心の招きしものなるを悟りて、始めて目覚め得る処に、
真の佛道悟り得るものなり。
信仰とは一口に申せど、只、手を合わせて、
己が欲望の聞き届けられんをのみ祈る事は、佛道には非らず。
何故なれば、佛に通ずる道には、非らざるが故なり。
そは、只、単に己が欲望の量のみを求むるが故に、
相手かまわず、聞き届けらるれば在り難しと、
喜ぶ心に真実の道理の分かる筈はなし。
真実の心非らざれば、佛の道の分かる筈はなし。
佛とは、真実そのものにあればなり。
この分別の、明らかに悟り得ざるが故に、信仰の真実が悟られざるなり。
只、合掌すればとて、信仰とは申されず。
信仰とは、神仏に通ずる心を養う事なり。
先ず、第一に義を以て、己を戒むる事、
第二には、真の愛を持て、全ての命を愛しみ、育てゆく事なり。
この義、第一に重んずる心を以て、全てに愛を施す事こそ、
神仏に通じゆく道なり。
これを以て、真の信仰と申すなり。
合掌 |
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