平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.6/1掲載)
法は義なり

法は義なり。義は礼節なり。
先づ長幼の礼儀わきまえざれば、法の第一義は欠けるものなり。
それ、親への礼儀、先祖への礼儀をわきまえる心ありて、
神への礼儀悟りゆくなり。

人と人との礼節とは、年長者への礼儀ありてこそ、
人の和は保たるるものにあり。

己れ、年若くして世間知らざるを、わきまえなくしては、
学におごり財におごり長幼の礼を欠く事、これ幼にして今世の悪因、
作りゆくなり。

如何に学ありとても、財ありとても、へり下りたる礼節のわきまえなさ故に、
心おごりて増上慢のあなどり受く事は、何一物とて無き者にも劣りたる者にして、
仏のまなこより見下ろさば、さながら幼児の我強しと友をあなどり、
いさかいを挑むが如き愚者なり。

人といたしての真価とは、徳そなわればそなわる程に、
へり下る頭の低きを以て、第一となす者にあり。

いささかの学に誇り、わずかな財に人を見下す増上慢こそ、
神仏の勿もいまわしと思し召さるるものなり。



修行とは、うまずたゆまぬ真剣さを以て、己が徳をこそ積みゆく事なり。
修行にこだわりて、己が徳むしろ失うが如き愚者となりては、
正法行者とは申されぬなり。

正法此処にありと、道示し下さるる今世の師をこそ、
第一に尊びて仕えゆく己が心の真こそ、
道明らけく悟り得る唯一の行なり。

師の尊さを知らざるが故に、己一人にて修行なしたりと、
思う心の増上慢は、我一人成長いたし今日ありと、
心おごりて親を親とも思わざる不幸の者と等しきなり。

親の大恩あればこそ、今日の我あり。
師の大恩あればこそ、我神仏を悟り得るなりと、よくよく己が心に申しきかせて、
露程も師にそむかざる心こそ、正法行者と申すなり。

己が言動の足らざるが故の、意のままならざる現実現わさるるなり、
と深く悟りて、我が意のままにならざる現実に、
深き懺悔の境地を開きて、御仏の大慈大悲のいづくにありやを、
しかと悟りゆく處に明らかなる道、開けゆくなり。

 合掌

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